甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【多賀町】多賀大社

今回は滋賀県多賀町の多賀大社(たが たいしゃ)について。

 

多賀大社は町の中心部の市街に鎮座しています。

創建については詳細不明。『古事記』には多賀大社と思しき記述があるとのこと。『延喜式』には当社を指して「多何神社」と記載があり、平安期には式内社として存在していたようです。安土桃山期以降は豊臣氏、徳川氏、井伊氏の庇護を受けています。江戸後期には1778年(安永2年)の火災を皮切りに数度の災害に遭いますが、幕府や彦根藩の寄進で再建されています。

現在の境内は大正期に整備され、社殿は昭和期に造られたもの。大部分の社殿は町指定文化財で、桧皮葺の豪華な造りになっており、式内社にふさわしい風格です。

 

現地情報

所在地 〒522-0341滋賀県犬上郡多賀町多賀604(地図)
アクセス 多賀大社前駅から徒歩5分
彦根ICまたは湖東三山スマートICから車で10分
駐車場 有料駐車場(200円~)多数あり
営業時間 随時
入場料 無料
社務所 あり
公式サイト 多賀大社
所要時間 30分程度

 

境内

参道

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多賀大社の境内は南向き。観光客向けの商店街に面しています。

鳥居は石造の明神鳥居。扁額なし。

右の社号標は「多賀大社」。

 

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鳥居の先には太鼓橋。別名は太閤橋、そり橋。

豊臣秀吉から篤く崇敬を受けたことから太閤橋の別名があるようですが、造営されたのは豊臣氏滅亡からしばらく経った1638年とのこと。

 

御神門

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太鼓橋の先には御神門。

一間一戸、四脚門、切妻、檜皮葺。

造営は1933年(昭和八年)と思われます。町指定文化財。

 

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側面。

前後の柱は角柱が使われていて、角面取りされています。柱の上部には拳鼻。

妻飾りは笈形付き大瓶束。

 

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内部。

通路の頭上にわたされた梁の中備えは蟇股。その上の虹梁は、蟇股に似た形状の笈形付き大瓶束が立てられています。

 

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門扉の桟唐戸。

格子の目の部分には装飾として花狭間が付き、中央には三つ巴の門があしらわれています。

 

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御神門をくぐると、右手に手水舎。

切妻、檜皮葺。

四隅に各3本の角柱が使われています。

 

拝殿・神楽殿・回廊

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境内の中心部には、拝殿などの社殿が複合した独特な構成の社殿が鎮座しています。

重層的な複合社殿で、檜皮葺の屋根と相まって豪壮・重厚な雰囲気。

正面の入母屋(妻入)は拝殿、奥の入母屋(平入)は神楽殿、左右に延びる屋根は回廊。いずれも総檜皮葺。

1933年の造営と思われます。町指定文化財。

 

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拝殿の軒下。

水引虹梁はしめ縄がついていてよく見えず。中備えには蟇股。木鼻は拳鼻。

柱上の組物は出三斗。

 

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破風。各所に飾り金具が付けられ、非常に華やか。

破風板の拝みには猪目懸魚。

破風板、鬼瓦、鳥衾には三つ巴の紋。

 

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拝殿と神楽殿の接続部。

軒先が入り組んで屋根が折れ曲がり、縋破風が生じています。

 

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神楽殿の左右の回廊。

回廊は切妻様式のようですが、正面中央に軒唐破風が設けられ、アクセントがついています。

長野県で見られる諏訪造の片拝殿と似た構造ですが、軒唐破風があるだけでだいぶ趣がちがいます。

 

本殿

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神楽殿などの社殿の後方には本殿が鎮座しています。

拝殿の脇から奥へ回り込めば塀越しに見られるようですが、あろうことか本殿の存在を失念したまま帰ってしまったので、画像はWikipediaより引用。

様式は三間社流造、向拝1間、檜皮葺。

拝殿などと同様に1933年造営。町指定文化財。

祭神はイザナキ、イザナミ。

 

様式やシルエットは、私の知っている例だと河口浅間神社本殿(山梨県富士河口湖町)に似ていると思います。

旧本殿は1808年の再建で、こちらは喪失したわけではなく、1932年に同郡豊郷町の白山神社に移築されたとのこと。

 

日向神社

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多賀大社の境内西側には、日向神社(ひゅうが-)が鎮座しています。

こちらも延喜式内社とのこと。

入口の鳥居は南向き。扁額なし。

 

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手水舎。

2つの切妻を組合わせた形式で、撞木造のようなT字棟になっています。風変わりな社殿。

 

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中門および日向神社本殿

中門は一間一戸、銅板葺。

日向神社本殿は一間社流造、銅板葺。江戸中期以降の造営と思われます。

祭神はニニギ。

 

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向拝柱は角柱。几帳面取りされています。

柱の側面には獏を彫刻した木鼻。柱上の組物は連三斗。

 

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側面。

向拝柱と母屋をつなぐ懸架材はありません。

母屋柱は円柱。正面は板戸、側面は横板壁。

頭貫木鼻は拳鼻。

台輪の上の中備えには平三斗と、鼻を題材にした蟇股が配置されています。

妻飾りは大瓶束。

 

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日向神社の右隣(東)には両神明宮。

二間社神明造、向拝1間、銅板葺。

祭神はアマテラスとトヨウケ。

 

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神社本殿の鑑賞に慣れた人ならすぐ解ると思いますが、非常に個性的で類例をみない造りをしています。

まず正面に扉を2つ設ける二間社という時点でめずらしいのですが、二間社が神明造に採用されているのは一層めずらしいです。また、本来の正式な神明造は向拝を設けません。

 

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側面。

基本的に神明造の屋根は前後対称ですが、向拝があるせいで流造のように「へ」の字になっています。

定規で引いたようにまっすぐな「へ」の字はどこかシュールな趣。

 

その他の社殿

多賀大社と日向神社のあいだにはほかにも多数の社殿がありますが、詳細を解説しているときりがないため以下は大ざっぱに紹介。

 

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境内社の夷神社(えびす-)。

一間社流造、銅板葺。祭神は事代主。

 

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向拝や脇障子などの欄間には派手な彫刻が使われています。

 

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御輿庫。

流造の本殿を模した社殿。扉が2つあるので、ある意味では二間社かもしれません。

 

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文庫。

当社の禰宜である車戸氏の屋敷の遺構とのこと。車戸氏は桜田門外の変のあと、薩長の藩士と密議し、尊皇倒幕派と彦根藩の仲介に貢献したようです。

 

以上、多賀大社でした。

(訪問日2021/03/13)