今回は奈良県田原本町の多坐弥志理都比古神社(おおにます みしりつひこ-)について。
多坐弥志理都比古神社は町西部の田園地帯に鎮座しています。通称は多神社。
創建は不明。文献上の初出は奈良時代で、正倉院文書に「太神社」として納税の記録があるようです。平安期の『延喜式』には現在の社名で大社に列しています。室町期には当地の領主から広大な社領の寄進を受けたとのこと。
境内は現在でもそれなりの広さがあり、最奥部には4棟の本殿が並んで鎮座しています。本殿はいずれも江戸中期の春日造で、県指定文化財となっています。
現地情報
所在地 | 〒636-0345奈良県磯城郡田原本町多570(地図) |
アクセス | 笠縫駅から徒歩20分 橿原北ICから車で3分 |
駐車場 | 20台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり(要予約) |
公式サイト | なし |
所要時間 | 15分程度 |
境内
参道
多坐弥志理都比古神社の境内は南向き。
境内入口に鳥居はなく、少し奥まった場所に二の鳥居があります。一の鳥居は境内の南側の離れた場所にあるようです。
二の鳥居は木造の明神鳥居。扁額は「正一位■二等多大明神」(■部は判読できず)。
社名の「坐」の読みは境内案内板では“にいます”となっていましたが、田原本町のサイトなどでは“にます”となっていたため当サイトでもこちらを採用しています。
“にます”は“にいます”の音便なので一概にどちらが正しいとは言えず、判断が難しいところ。
参道右手には手水舎。
切妻、桟瓦葺。
拝殿
拝殿は入母屋、向拝1間・切妻(妻入)、銅板葺。
向拝。
破風板の拝みには三花懸魚。
妻飾りと中備えには蟇股が使われています。
向拝柱は角面取り。木鼻は正面側面ともに象鼻。
柱上に組物はなく、舟肘木のような部材で桁を受けています。
軒裏は一重のまばら垂木。
向拝内部には格天井が張られています。
本殿
拝殿の後方には、塀に囲われた4棟の本殿が並立しています。向かって右端が第一殿で、左端が第四殿のようです。
いずれも一間社春日造、銅板葺。
棟木の墨書より第一殿と第二殿は1735年再建、第三殿と第四殿は享保・宝暦年間(1716~1764)の再建。4棟とも当初は檜皮葺だったようですが、1977年の修理で銅板葺に改められています。4棟いずれも県指定有形文化財。
祭神は4柱。第一殿は神武天皇、第二殿は神八井耳命(かむやいみみのみこと、神武天皇の皇子)、第三殿は綏靖天皇(神八井耳命の弟)、第四殿は玉依姫(神八井耳命の祖母)。
こちらは第四殿。内側にある第三殿はよく見えませんが、年代的に第四殿と近い造りをしていると思われます。
梁や組物などの部材は極彩色に塗り分けられていた形跡があり、安土桃山期や江戸初期の作風。
虹梁中備えは蟇股。虹梁木鼻は唐獅子の彫刻。組物は連三斗。
軒裏は二軒まばら垂木で、隅木のない純粋な春日造となっています。
母屋柱は円柱。軸部は長押で固定され、柱上の組物は舟肘木が使われています。
頭貫木鼻が見当たらず、純粋な和様を意識した造りに見えます。
破風板の拝みには猪目懸魚。鬼板には菊の紋。
大棟には鰹木が2本と、外削ぎの千木が置かれています。
つづいて第一殿。第二殿も内側にあってよく見えませんが、年代的に第一殿と近い造りと思われます。
向拝部分は塀に阻まれて詳細を観察できず。
向拝木鼻は象の彫刻になっており、ここは第四殿と異なります。組物などの部材が極彩色に塗り分けられている点は同様。
こちらの本殿も軒裏は純粋な春日造で、頭貫木鼻のない純和様となっています。
背面。春日造なので背面は通常の切妻です。
妻飾りは豕扠首。破風板の拝みと桁隠しには猪目懸魚が下がっています。
ほか、縁側の母屋後方に脇障子が立てられているのが確認できます。
以上、多坐弥志理都比古神社でした。
(訪問日2021/10/14)