甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【所沢市】中氷川神社(山口)

今回は埼玉県所沢市山口(やまぐち)の中氷川神社(なかひかわ-)について。

 

中氷川神社は山口線沿線の住宅地に鎮座しています。

創建は社伝によると第10代・崇神天皇の時代らしいです。『延喜式』には当社と思われる記述があり、式内論社に列しています。平安時代末期には山口家継によって社殿が造営されており、この頃には確立されていたと思われます。その後は南北朝時代に社殿が再建されましたが戦災で焼失し、桃山時代の天正年間(1573-1593年)に山口高忠が山口城を再興する際に当社も再建されました。江戸時代には社領の寄進を受け、江戸中期に社殿が再建されました。

現在の境内や社殿は江戸中期以降のもの。旧本殿は江戸中期の建築で、関東ではめずらしい春日造です。本殿は昭和初期のもので、全国的にも例の少ない大社造となっています。

 

現地情報

所在地 〒359-1145埼玉県所沢市山口1849(地図)
アクセス 下山口駅から徒歩15分
入間ICから車で20分
駐車場 10台(無料)
営業時間 随時
入場料 無料
社務所 なし
公式サイト 中氷川神社
所要時間 15分程度

 

境内

参道

中氷川神社の境内は南東向き。境内入口は幹線道路の県道に面しています。

一の鳥居は石造明神鳥居。

 

参道を進むと二の鳥居があります。

石造神明鳥居。

 

二の鳥居の先へ進むと、境内の中心部へ到達します。

三の鳥居も石造神明鳥居です。

 

三の鳥居の右後方には手水舎。

切妻、銅板葺。

 

手水舎の妻面。

柱は角柱で、柱上は舟肘木。頭貫の上の欄間には連子が入っています。

妻飾りは笈形付き大瓶束。

破風板には角ばった形状の懸魚が下がっています。

 

参道左手には神楽殿と思われる社殿があります。

宝形、銅板葺。

 

角柱が使われ、虹梁には木鼻がついています。柱上は舟肘木。

 

金刀比羅神社(旧本殿)

拝殿へ進む階段の途中には脇道があり、参道右手に末社の金刀比羅神社が西面しています。

こちらは琴平社の覆屋で、切妻(妻入)、銅板葺。

公式サイトには“天保10年本殿上屋御造”とあり、これをそのまま信じるなら1840年のものになりますが、現在の覆屋が当時のものかどうかは不明。

 

内部には金刀比羅神社本殿が鎮座しています。もとは中氷川神社の本殿として造られたもののようです。

案内板によると1689年(元禄二年)再建。

 

一間社隅木入り春日造、こけら葺。

屋根は妻入りで、関東をはじめ東日本ではあまり見かけない春日造となっています。

 

向拝は1間。角材の階段が5段設けられ、昇高欄は擬宝珠付き。

母屋の正面には板戸が設けられています。

 

向拝の虹梁。

両端に若葉の絵様が彫られ、中備えの蟇股には竜の彫刻。

 

向かって右の向拝柱。

向拝柱は几帳面取り角柱。上端が絞られ、側面には象の木鼻。柱上の組物は出三斗で、象の頭上の巻斗で組物を持ち送りしています。

向拝柱と虹梁との接続部には、菊の花の持ち送りが添えられています。

 

母屋柱は円柱。柱上は出三斗。

軸部は長押と貫で固められ、頭貫には木鼻があります。

 

母屋正面の扉の上の中備えは蟇股。琵琶と思われる植物が彫られています。

 

左側面の縁側。

縁側は切目縁が3面にまわされ、跳高欄が立てられています。

背面側は脇障子でふさがれ、羽目板には彫刻があります。こちらの羽目板は菖蒲らしき花が彫られていて、反対側も似た構図の彫刻でした。

 

拝殿

参道の先には拝殿があります。

入母屋、向拝1間、銅板葺。

公式サイトには“昭和6年から13年にかけて本殿、幣殿、拝殿、神饌所、回廊等造営及び境内整備”とあり、戦前の昭和初期のもののようです。

 

虹梁中備えは蟇股。中心部には結綿の彫刻。

 

向拝柱は面取り角柱。側面に木鼻がつき、柱上は出三斗。

向拝柱と母屋柱のあいだには海老虹梁がわたされています。

 

母屋は正面側面ともに3間。

柱は角柱で、柱上は舟肘木。柱間は引き戸が入っています。

 

拝殿の後方には幣殿がつながっています。

切妻、銅板葺。

拝殿と同年代の造営のようです。

 

本殿

拝殿の後方には本殿が鎮座しています。

1938年造営。

 

大社造、銅板葺。

正面側面ともに2間で、母屋の屋根は妻入りの切妻。正面には向かって右側に階段と庇があり、庇も妻入りの切妻となっています。このような建築様式を大社造(たいしゃづくり)といいます。

大社造の遺構のうち国宝重文のものは山陰地方でしか見られません。この本殿は近現代のもので、歴史的な価値は現状あまりありませんが、それでも大社造の本殿の例は希少です。

 

正面の庇は、右寄りの位置に設けられています。庇の柱は円柱。

角材の階段が9段設けられ、昇高欄がついています。

 

母屋正面は2間。

向かって左は連子窓、右は板戸。

欄干は跳高欄。縁側の欄干と昇高欄をつなぐ親柱は、庇の柱も兼ねているようです。

 

側面は2間。柱間は縦板壁。

縦板壁は禅宗様の寺院建築で見られる意匠で、神社建築ではふつう横板壁を張るのですが、大社造では例外的に縦板壁が採用されます。

 

大棟には外削ぎの置き千木が乗り、紡錘形の鰹木が3本並んでいます。

 

拝殿の左手前(南西)には小規模な境内社が並んでいます。

左は七社神社、右は稲荷社。

七社神社は旧勝楽寺村(狭山湖の建設により水没した)の小社を合祀したもの。

 

こちらは神魂宮。

戦没者を祀ったものと思われます。

 

以上、中氷川神社でした。

(訪問日2024/05/31)