今回は奈良県田原本町の村屋坐弥冨都比売神社(むらやにいます みふつひめ-)について。
村屋坐弥冨都比売神社は町東部の川沿いに鎮座しています。通称は村屋神社。
創建は不明。文献上の初出は『日本書紀』で、673年の壬申の乱の折、当社の神主が神託による献策で天武天皇の勝利に貢献したという功績が記されています。平安期には延喜式内社の大社に列しています。安土桃山期には衰退していたようですが、森屋重政という人物によって再興されたとのこと。
現在の境内はいつの時代の再建か不明ですが深い社叢に覆われていて、由緒ある古社にふさわしい雰囲気。本殿は規模こそ標準的ですが、2つの向拝が設けられた風変わりな造りをしています。
現地情報
所在地 | 〒636-0234奈良県磯城郡田原本町藏堂426(地図) |
アクセス | 田原本駅または笠縫駅から徒歩40分 橿原北ICから車で15分 |
駐車場 | 5台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり(要予約) |
公式サイト | 村屋神社 |
所要時間 | 15分程度 |
境内
参道
村屋坐弥冨都比売神社の境内は南向き。
一の鳥居は木造の明神鳥居。
一の鳥居から数十メートルほど進むと二の鳥居があります。
二の鳥居は石造の明神鳥居。
境内は鬱蒼と社叢に覆われ、昼間でも薄暗く幽玄な趣。周囲に池や川があるせいか、心なしか湿った雰囲気です。非常に神社らしい神社だと思います。
拝殿
灯篭の並んだ参道の先には拝殿。
入母屋、銅板葺。
柱は角柱、柱上は舟肘木。軒裏は二軒まばら垂木。
とくに目立つ装飾はなく、質素な造り。
本殿
拝殿の先には板塀に囲われた本殿が鎮座しています。
桁行3間・梁間1間、三間社流造、正面千鳥破風2か所付、正面向拝2か所・各1間、銅板葺。
造営年不明。
主祭神は社名にある弥冨都比売こと三穂津姫。くわえて大国主も合祀され、つごう2柱が祀られているようです。
三間社流造(さんけんしゃ ながれづくり)という建築様式はありふれたものですが、この本殿は同様式の中でも非常に特殊な例のひとつで、2つの本殿のあいだに1間のつなぎを設けて連結した構造となっています。
これと同じ構造をした本殿は、私の観察だと大阪府や奈良県のあたりにいくつか例があります。また、当社の近くに鎮座する鏡作坐天照御魂神社本殿(奈良県田原本町)はこの本殿の五間社バージョンといえます。
正面は向拝3間ではなく、1間の向拝が2つ設けられています。
向拝柱は角面取りされ、柱上は黒い大斗と白い舟肘木。
虹梁と木鼻も白く塗装されています。
この写真ではわかりにくいですが、右側と左側の間は板戸が立てつけられ、手前には階段が設けられています。対して中央の間は神座ではないため、ただの板壁のうえ階段もなく、柱間も狭く取られています。
海老虹梁は白い材で、向拝側は軒桁の付近から出て、母屋側は舟肘木の場所に取りついています。かなり高いところを通っており、変わった場所に取りついています。
縁側には脇障子が立てられていますが、背面側ではなく正面側にあります。ここもまた風変わり。
軒裏は一重のまばら垂木。たいていの神社本殿は二軒繁垂木なので、めずらしいです。
母屋柱は円柱。妻壁は豕扠首。破風板の拝みには猪目懸魚。
こちらは標準的な構造と意匠です。
屋根の正面には千鳥破風が2つ設けられています。
大棟鬼板の紋はいずれも菊。
大棟の上には鰹木と外削ぎの千木。
本殿向かって左側(西)には服部神社(はっとり-)。
もとは波登里(はとり)村なる場所に鎮座していた式内社だったようですが、村の衰退により存続できなくなり、1573年に当地へ末社として遷座したとのこと。
境内にはほかにも式内社の小社がありましたが、どれも似たような小社だったため割愛。
以上、村屋坐弥冨都比売神社でした。
(訪問日2021/10/14)