今回は奈良県田原本町の池坐朝霧黄幡比賣神社(いけにます あさぎりきはたひめ-)について。
池坐朝霧黄幡比賣神社は町東部の法貴寺地区の住宅地に鎮座しています。通称は池神社。
創建は不明。社伝によると、推古天皇の時代に法貴寺という寺院の鎮守として創建されたのが始まりとのこと。奈良時代には確立されていたようで、正倉院文書に当社と思しき記載があるようです。平安期には延喜式内社の大社に列し、北野天満宮から祭神を勧請したため天満宮と呼ばれるようになります。その後は豪族の長谷川氏の氏神として法貴寺とともに隆盛し、明治期に神社として分離独立しています。
現在の社殿は明治期に造られたもので、独特な構造の拝殿と春日造の本殿を見ることができます。また、法貴寺の伽藍のうち唯一現存する千万院が境内に鎮座していて、往時の隆盛の一端を偲ぶことができます。
現地情報
所在地 | 〒636-0222奈良県磯城郡田原本町法貴寺502(地図) |
アクセス | 田原本駅から徒歩40分 橿原北ICから車で15分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | なし |
公式サイト | なし |
所要時間 | 15分程度 |
境内
参道と拝殿
池坐朝霧黄幡比賣神社の境内は西向き。ややめずらしい方角を向いています。
鳥居は石造の明神鳥居。扁額は「池坐神社」。
右の灯篭の基部には「天満宮」。
参道右手には手水舎。
切妻、桟瓦葺。
拝殿は入母屋、正面向唐破風付、本瓦葺。
中央の唐破風が妙に高い位置にあるのが特徴的。
造営年不明。境内案内板(大和磯城ライオンズクラブ)によると1872年頃の改築とのこと。
中央の唐破風部分の軒下。
梁の上には菱組の欄間が設けられ「天満宮」の扁額が掲げられています。
扁額の上では笈形付き大瓶束が唐破風の棟木を受けています。
大棟鬼板には梅鉢の紋。天満宮の紋です。
唐破風の兎毛通の中央部も梅鉢の意匠になっています。
本殿
拝殿の後方には中門と土塀に囲われた本殿が鎮座しています。
本殿は春日造、銅板葺。
境内案内板によると1872年(明治四年)の造営とのこと。
祭神は𣑥幡千千姫命(たくはちぢひめのみこと)と、天神こと菅原道真。
本殿は塀に阻まれ、細部を観察することはできません。
柱は円柱、柱上は舟肘木、軒裏は二軒の吹寄せ垂木、大棟には鰹木と千木が確認できます。
本殿の左右には境内社。
やはり奈良県は春日造が多いように感じます。
千万院
池坐朝霧黄幡比賣神社の境内北側には千万院という寺院があります。境内は南向き。
左は鐘のない鐘楼で、切妻、本瓦葺。右の門は一間一戸、切妻、本瓦葺。
門の内部。
前方(写真左)は主柱、後方(右)は控柱。両者とも角柱。
主柱からは腕木(女梁)が出て、梁(男梁)を持ち送りしています。
標準的な薬医門の造りです。
門の先には小ぢんまりとしたたたずまいの千万院本堂(あるいは不動堂?)が鎮座しています。
入母屋、向拝1間、本瓦葺。
堂内の不動明王像は平安期のもので、国重文。
千万院は当地区の地名の由来になった法貴寺の伽藍の一部で、往時の法貴寺は多くの伽藍と僧房のある大寺院だったようですが、現在はこの千万院を残すのみとのこと(田原本町の案内板より)。
寺の一部という扱いだったはずの池坐朝霧黄幡比賣神社は健在なのに、法貴寺はすっかり衰退してしまい、その残滓が神社の隅に辛うじて残っているだけという事実には、無常を思わずにはいられません。
向拝柱は几帳面取り。虹梁木鼻は雲の意匠の象鼻。
組物は出三斗。なぜか肘木の写真左のほうが出っ張っており、妙な形状をしています。
手挟も雲状の意匠となっています。
以上、池坐朝霧黄幡比賣神社でした。
(訪問日2021/10/14)