甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【京都市】北野天満宮 その1(参道と楼門)

今回は京都府京都市の北野天満宮(きたの てんまんぐう)について。

 

北野天満宮は市北部の住宅地に鎮座しています。

創建は947年(天暦元年)。菅原道真の没後、朝廷によって道真を祀る社殿を建立したのがはじまりです。創建以来、朝廷や武家から篤く崇敬されましたが、文安の麹騒動(1444年)で幕府軍に境内を焼かれ、室町後期は衰微します。

安土桃山時代には豊臣秀頼によって現在の主要な社殿が再建されますが、江戸前期の地震(1662年)で被害を受けています。明治初期の廃仏毀釈(神仏分離令)では神宮寺が破却され、社名は「北野神社」となりました。戦後に現在の社号に復しています。現代では、太宰府天満宮とならぶ天満宮の本社として全国から崇敬を集めています。

現在の社殿は、安土桃山時代から江戸前期にかけてのもの。中心部にある拝殿や本殿などの社殿は権現造で、権現造の遺構として大規模かつ古いものであるため、国宝に指定されています。中門や回廊なども国重文に指定されているほか、境内の各所には多数の境内社が点在しています。

 

当記事ではアクセス情報および参道と楼門などについて述べます。

中門や本殿などの主要な社殿については「その2」を、

東門や地主神社などの境内社については「その3」をご参照ください。

 

現地情報

所在地 〒602-8386京都府京都市上京区馬喰町(地図)
アクセス 円町駅から徒歩25分
京都東ICから車で30分
駐車場 300台(無料)
営業時間 07:00-17:00
入場料 無料
社務所 あり
公式サイト 北野天満宮
所要時間 1時間程度

 

境内

参道

北野天満宮の境内は南向き。一の鳥居は南東向きに立っており、鳥居の先の参道がわずかに右方向へカーブして、南向きの境内につづいています。

境内の周辺は住宅地で、入口は今出川通という幹線道路に面しています。

一の鳥居は石造明神鳥居。1921年造営。扁額は「天満宮」。

 

二の鳥居と三の鳥居。

両者とも石造明神鳥居で、扁額はありません。

 

三の鳥居の手前、参道左手には末社の伴氏社(ともうじしゃ)。

菅原道真の母を祀った社殿とのこと。

 

伴氏社の手前に立つ鳥居。扁額は風化して判読できず。

貫が柱の左右に突き出ていない点は神明鳥居ですが、柱上に島木と笠木が乗っている点は明神鳥居で、どちらともつかない風変わりな造り。

案内板によるとこの石造鳥居は鎌倉時代の作で、国の重要美術品とのこと。台座の意匠に特徴があるらしいですが、写真を撮り忘れてしまったため割愛。

 

伴氏社は、一間社流造、銅板葺。

 

楼門

三の鳥居の先は一段高い区画になっており、その入口に楼門が鎮座しています。

楼門は、三間一戸、楼門、入母屋、銅板葺。

造営年不明。私の予想になりますが、明治以降の建築かと思います。

 

下層は正面3間で、中央の1間が通路となっています(三間一戸)。

左右の柱間には随神像が置かれています。

 

中央の通路部分の柱間。

虹梁がわたされ、虹梁の両端の下部は斗栱で持ち送りされています。虹梁は袖切と眉だけが彫られ、絵様のついていないもの。

 

向かって左の柱間。

柱はいずれも円柱。軸部は貫で連結されています。木鼻はありません。

柱上の組物は二手先。頭貫の上の中備えは間斗束。

 

左側面と袖塀。

側面の柱間は板壁。

楼門の両脇には袖塀がつづいています。袖塀は切妻、銅板葺。円柱が使われ、柱間に連子窓が入っています。

 

上層。金網がかかっていて、細部の観察は難しいです。

扁額は「文道大祖 風月本主」。平安時代の学者である慶滋保胤と大江匡衡が、菅原道真を讃えた言葉とのこと*1

上層の組物は、尾垂木三手先が使われています。

 

背面。

正面とほぼ同じ造りで、目立った意匠はありません。

 

火之御子社などの摂社

楼門の先は参道が二手に分かれ、本殿などの主要な社殿は左(西)に分岐した参道のほうにあります。楼門からまっすぐ進んだ場合、本殿の脇を通りすぎて地主神社(その3にて後述)に至ります。

楼門と中門のあいだの区画には、参道の両脇に4棟の摂社が鎮座しています。

参道左手には福部社と老松社が東面しています。こちらは手前(南)にある福部社(ふくべしゃ)。

一間社流造、檜皮葺。

祭神は十川能福(そごうのうふく)。菅原道真に仕えた舎人で、牛の世話をした人物とのこと。

 

虹梁中備えの蟇股は、梅の彫刻。

向拝柱の側面には唐獅子の木鼻。

 

福部社の右(北)には老松社(おいまつしゃ)。

一間社流造、檜皮葺。

祭神は島田忠臣(しまだただおき)。案内板によると“菅公の家臣と伝えられ、また一説には公の岳父(夫人の父)ともいわれる”そうです。

 

虹梁中備えは松の彫刻。

向拝柱の側面は唐獅子の木鼻。

前述の福部社と酷似していますが、彫刻の題材や造形が微妙にちがっています。

 

参道右手には白太夫社と火之御子社が西面しています。こちらは手前(南)にある白太夫社(しらだゆうしゃ)。

一間社流造、檜皮葺。

祭神は渡会晴彦(わたらいはるひこ)。伊勢神宮の神官で、菅原道真の守役として仕えた人物とのこと。

 

向拝柱は糸面取り。側面には木鼻。

 

虹梁中備えには彩色された蟇股。彫刻は松に鷹。

 

母屋側面の蟇股。菊(あるいは牡丹?)と思しき花が彫られています。

 

白太夫社の左(北)には火之御子社(ひのみこしゃ)。

一間社流造、檜皮葺。

祭神は火雷神。北野天満宮の創建以前から、「北野雷公」として当地に祀られていた神らしいです。

 

虹梁中備えの蟇股。実肘木を使わず、巻斗で桁を受けています。

彫刻は孔雀。

 

妻飾りと、中備えの蟇股。

妻飾りは大瓶束が使われています。

蟇股の彫刻は栗。めずらしい題材だと思います。

 

参道と楼門などについては以上。

その2では、中門、本殿などの主要な社殿について述べます。

*1:公式サイトより