今回も東京都台東区の浅草寺について。
当記事では、五重塔や薬師堂などについて述べます。
五重塔
境内西側には五重塔が東向きに立っています。塔の手前には門があり、四天王寺(大阪市)のような配置。
五重塔は周辺を回廊に囲われていて、間近で見ることはできません。
RC造、三間五重塔婆、本瓦葺(アルミ合金瓦葺)。全高48メートル。
1963年再建。
再建前の五重塔は境内の東側にあったようで、1648年造営の建築でしたが、東京大空襲で焼失しています。
影向堂など
本堂の右側、境内北西の区画には、多数の堂や境内社が点在しています。
こちらは影向堂の池の手前にある銭塚弁財天。
一間社流造、正面軒唐破風付、桟瓦葺。
神社本殿ではめずらしい瓦葺で、箕甲瓦まで使われています。
破風板の兎毛通は竜の彫刻。
頭貫には拳鼻。
組物は出組。中備えは蟇股。
妻飾りは大きな蟇股が使われています。
影向堂の前の橋を渡ると、右手に九頭竜権現と金龍権現があります。
向かって右が九頭竜権現。
宝形、正面軒唐破風付、銅板葺。
宝形という寺院風の建築様式ですが、縁側をまわして背面側に脇障子を立てている点は神社風で、寺院とも神社ともつかない造り。宝形に軒唐破風をつけているのも風変わり。
向かって左は金龍権現。
下層は宝形、正面軒唐破風付、上層は六角円堂、銅板葺。
小規模な堂にはめずらしい、重層的な構造。上層だけ六角になっている点が風変わりです。下層は軒の出が深く、軒先が反っていて優美なシルエット。
軒裏は、下層が平行の二軒繁垂木。上層は一重の扇垂木になっています。
影向堂の手前には六地蔵石灯籠。
六角形の覆い屋の内部に石灯籠があるのですが、うまく写真が撮れなかったため内部は割愛。
この石灯籠は伝承によると平安時代から鎌倉時代にかけて作られたものらしいです*1。東京都指定史跡。
境内北西の区画の中心には影向堂(ようごうどう)。
RC造、寄棟、本瓦葺。錣屋根。
屋根は2段に分かれた構造で、錣(しころ)屋根になっています。幅の短い大棟には金色の鴟尾(しび)が乗っています。
薬師堂
影向堂の南西には橋本薬師堂(はしもと やくしどう)。
桁行3間・梁間3間、入母屋、本瓦葺。
1649年の再建とされ、浅草寺では二天門に次いで古い建築らしい*2ですが、改造が顕著なためとくに文化財指定はないようです。
正面中央の柱間。
長押の上の扁額は「薬師堂」。
組物は木鼻付きの平三斗。中備えは蟇股。
柱は円柱で、上端が絞られています。
頭貫と台輪には禅宗様木鼻。
隅の柱の組物は出三斗。
向かって右側面(東面)。
柱間は3間で、前方の1間は広く取られています。
東面中央の柱間の蟇股。
彫刻の題材はカキツバタ。
蟇股と組物は、通し肘木を共有しています。
妻飾りは豕扠首。
破風板の拝みには猪目懸魚。
淡島堂
境内の北西端の区画には、淡島堂(あわしまどう)が東向きに鎮座しています。
元禄年間(1688-1703)に、淡島神社(和歌山市)から勧請されたもの。本社の淡島神社と同様に、針供養が行われていたようです。
淡島堂は、入母屋、向拝1間、本瓦葺。
造営年は不明ですが、現在の浅草寺本堂が再建されるまでのあいだ、浅草寺の仮本堂として使われていたとのこと。その後は影向堂として使用され、現在の影向堂の再建に当たって現在地へ移築し、淡島堂となりました。
母屋の扁額は「淡嶋堂」。
虹梁中備えの蟇股は、松竹梅が彫られています。
向拝柱は几帳面取り。柱上は皿付きの出三斗。
側面には見返り唐獅子の木鼻。
柱と虹梁の接続部の持ち送りは、波に千鳥が彫られています。
母屋柱は角柱。柱上は実肘木。
欄間には緑色の菱連子が張られています。
淡島堂の手前には多宝塔。
弁天堂
浅草神社の南、境内東端の区画には弁天堂(べんてんどう)が西面しています。
宝形、向拝1間、本瓦葺。
扁額は「弁天堂」。
弁天堂の手前には鐘楼。
入母屋、桟瓦葺。
四隅に柱を立て、内部の梵鐘の四隅にも柱を立てて、貫で連結しています。
頭貫と台輪には禅宗様木鼻。内部は棹縁天井。軒裏は二軒繁垂木。
浅草寺および浅草神社の境内については以上。
境外の川沿いにある駒形堂や、都指定文化財の六角堂については見落としてしまったため、再訪の機会があれば加筆したいと思います。
以上、浅草寺でした。
(訪問日2022/08/20)