今回も滋賀県大津市の延暦寺について。
当記事では横川地域について述べます。
横川
横川(よかわ)は比叡山の北部にある地域で、横川中堂や元三大師堂などが鎮座しています。
東塔からは車で15分ほど、西塔からは10分ほどの距離。
横川中堂
駐車場と拝観受付から道なりに進むと、高台の上に横川中堂(よかわちゅうどう)が南向きに鎮座しています。この堂が横川地域の中枢のようです。
鉄筋コンクリート造。入母屋、銅板葺。1971年再建。
もとあった堂は豊臣秀頼と淀殿の寄進で、戦前の落雷で焼失したとのこと。
柱の床下は八角柱。
清水寺のような懸造の外観にはなっているものの、床下の柱間は板を張って内部を隠しています。
正面側は崖になっているため、向かって右側面から出入りします。
右側面の屋根は橋の部分で折れ曲がっており、同市の日吉大社に見られる「日吉造」を彷彿とさせるシルエット。
柱上の組物は出三斗。木鼻は使われていません。
破風板の拝みと桁隠しには猪目懸魚。
妻飾りは豕扠首。
横川鐘楼
横川中堂の先には鐘楼があります。
切妻、桟瓦葺。1687年造営。寺内のほかの堂宇とあわせて国重文。
柱はいずれも角柱。エッジは角面取りされています。
写真中央の主柱は頭貫に象鼻が使われ、柱上は出三斗。
写真左の控柱は柱上に巻斗を置き、花肘木と実肘木の中間といった感じのあまり見慣れない部材で頭貫を受けています。
頭貫の中備えは、皿斗をベースとした木鼻付き平三斗。
虹梁の上の妻飾りは板蟇股。
破風板は蕪懸魚が下がり、赤白青の3色に彩色されています。
内部にも虹梁がわたされ、梵鐘をつるしています。
天井はなく、化粧屋根裏となっています。
四季講堂(元三大師堂)
横川地域の中心部には四季講堂(しきこうどう)が東向きに鎮座しています。正式名称は元三大師堂(がんざんだいしどう)。
四季講堂の門は一間一戸、四脚門、切妻、銅板葺。造営年不明。
通りの間の梁の中備え。
繰型で構成された板蟇股という点も風変わりですが、台形を逆さにしたようなシルエットも風変わりです。
妻飾りは板蟇股。こちらは至って標準的な蟇股です。
前後の控柱は大きめに面取りされた角柱。正面と側面に象鼻。
柱上の組物は、大斗と舟肘木を組み合わせたもの。
門の先にあるのが四季講堂。
桁行5間・梁間4間、入母屋、瓦棒銅板葺。
1652年造営。横川鐘楼などとあわせて国重文に指定されています。
扁額は「元三大師」。扁額の陰には中備えの蟇股が見えます。
正面中央は桟唐戸。
柱上の組物は出三斗。
正面はいずれの柱間も中備えに蟇股が配置されています。
はらわたには江戸期らしい彫刻が入っており、もとは極彩色だったようですが、題材がわからないほどに退色してしまっています。
柱は面取りされた角柱。木鼻は使われていません。
軒裏は二軒繁垂木。
四季講堂の右奥には名称不明の堂。
桁行3間・梁間2間、寄棟、向拝1間、銅板葺。
四季講堂の前では2つの堂が向かい合っています。
こちらは向かって右手にある雞足院(けいそくいん?)。雞は、鶏という字のつくりを隹に置き換えたような字。
入母屋、向拝1間・向唐破風、銅板葺。
扉の上に2つの板蟇股が配置され、頭貫と台輪の上には平三斗。唐破風の小壁も蟇股。蟇股は実肘木が一体化した形状。
桟唐戸や台輪木鼻など、禅宗様の意匠もあります。
唐破風から下がる兎毛通は渦巻状の透かし彫り。
向かって左には■恵雲院(■はくさかんむりに隹と田)。見たことのない字が使われていて、調べてもそれらしいものが見つからず。よって読みかたも不明。
入母屋、向拝1間・向唐破風、銅板葺。
こちらは扉の上は単純なしっくい塗り。台輪と頭貫の上は蟇股、唐破風の小壁も同様に蟇股。
唐破風の兎毛通は雲状の浮き彫り。
向かいの雞足院とは様式がまったく同じなのですが、細部の意匠や技法が微妙に異なっていて、見較べるとおもしろいです。
根本如法塔
四季講堂から拝観受付へ戻る途中で、竜ヶ池の脇を進むと根本如法塔(こんぽん にょほうとう)があります。
三間多宝塔、銅板葺。1925年造営。
柱は円柱。
中央は板戸、左右は緑色の盲連子。
頭貫木鼻は、拳鼻をベースに若葉の意匠がついたもの。
柱上の組物は出組。持ち出された桁の下には軒支輪。
扉の上の中備えには蟇股。
蟇股にしてはややつぶれたシルエットですが、はらわたには花の意匠があり鮮やかに彩色されています。
上層。
組物は和様の尾垂木三手先。
軒裏は平行の二軒繁垂木。
ほか、横川では元三大師御廟拝殿が国重文のようですが、例のごとく失念していたため割愛。
東塔・西塔・横川いずれもかなりの数の堂宇を見逃してしまい、今回の訪問は私としては悔いの残る内容。東塔の根本中堂の改修が完成したときは、3地域すべて再訪したいです。
以上、延暦寺(比叡山)でした。
(訪問日2021/08/10)