今回は滋賀県近江八幡市の奥石神社(おいそ-)について。
奥石神社は旧中仙道沿線の集落にある史跡・老蘇(おいそ)の森に鎮座しています。通称は鎌宮。
創建は社伝によれば7代孝霊天皇の時代とのこと。10代崇神天皇の時代には社殿が造られたようです。平安期には『延喜式』に奥石神社と記載され、式内社となっています。安土桃山期には織田家臣・柴田家久によって社殿が建てられ、本殿などが現存しています。
境内は老蘇の森と呼ばれる広大な社叢の中にあり、本殿が国重文に指定されています。
現地情報
所在地 | 〒521-1332滋賀県近江八幡市安土町東老蘇1615(地図) |
アクセス | 平田駅から徒歩40分 八日市ICから車で20分 |
駐車場 | 10台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり |
公式サイト | なし |
所要時間 | 15分程度 |
境内
参道
奥石神社の境内は南向き。国道から境内をはさんで反対側の集落に、正面入口があります。
鳥居は石造の明神鳥居。扁額は「奥石神社」。
右の社号標は太く力強いフォントで「奥石神社」。
社叢に覆われた参道。
しめ縄の形状が独特で、クリスマスのリースのような環状のものが吊るされています。
参道右手には手水舎。
切妻、桟瓦葺。
柱は角柱で、面取りの幅が大きく取られています。
頭貫木鼻は象鼻。
組物は柱上に大斗が置かれ、舟肘木で桁を受けています。
中備えは蟇股。
妻虹梁は唐草が彫られ、妻飾りも蟇股が使われています。
内部は天井がなく、化粧屋根裏。軒裏は一重まばら垂木。
拝殿
拝殿は入母屋、正面千鳥破風付、向拝1間、銅板葺。
柱間に建具がない神楽殿風の拝殿で、滋賀県内でよく見られる造り。ただ、この拝殿は向拝があったり欄干がついていたりと、拝殿らしい意匠になっています。屋根の正面には千鳥破風が付き、正面性の強い外観。
向拝柱は角面取り。あまり古いものではないと思いますが、面取りの幅が広くとられています。
虹梁は唐草が彫られ、中備えは透かし蟇股。両端は象鼻。
別アングル。
象鼻は流麗な曲線で彫られたリアルな作風。良い造形だと思います。
柱上の組物は出三斗で、手挟が軒裏を受けています。手挟には若葉と花が彫られていて、こちらもきれいな造形。
向拝柱と母屋をつなぐ懸架材はありません。
母屋柱は円柱。軸部は長押と頭貫で固定され、頭貫木鼻は拳鼻。
組物は出組で、持ち出された軒桁の下には軒支輪。
中備えは蟇股と間斗束。
内部は折り上げ格天井でした。
本殿
拝殿後方には中門と透かし塀に囲われた本殿が鎮座しています。
中門は一間一戸、切妻、檜皮葺。透かし塀は桟瓦葺。
本殿は三間社流造、向拝1間、檜皮葺。
棟札より1581年(天正九年)再建。織田信長の命を受けた柴田家久による寄進で、西之庄左衛門三郎なる人物の作とのこと。国指定重要文化財。
祭神は祭神天児屋根命。
向拝柱は角面取り。比較的古いもののため、面取りの幅は大きめになっています。
虹梁は無地で、中備えは蟇股。蟇股のはらわたには菊の花のような彫刻が透かし彫りで造形されています。
柱上の組物は連三斗。向拝柱側面から出た斗栱が、連三斗を持ち送りしています。
組物と桁のあいだに実肘木はなく、巻斗が直接桁を受けています。これは近隣の神社本殿でよく見られる技法。
向拝柱と母屋のあいだに懸架材はありません。
案内板によると手挟の彫刻が見どころのひとつらしいですが、雨のせいでよく見えず。
母屋は桁行(正面)3間・梁間(側面)2間で、前方に側面1間の外陣(前室)を設けています。外陣は縁側が一段低く造られています。
国宝の苗村神社西本殿(竜王町)をはじめ、近隣にはこれと同じ構造の本殿が数多く現存しますが、この本殿は前室の柱間に建具がなく吹き放たれているのが特徴。
反対側、右側面(東面)の妻壁。
母屋柱は円柱。軸部は長押と頭貫で固定され、頭貫に木鼻は見えません。
組物は出三斗と平三斗。中備えなし。
妻飾りは豕扠首。
破風板の拝みと桁隠しには猪目懸魚。
縁側は切目縁が4面にまわされています。欄干は跳高欄。縁の下は角柱の縁束。
縁側の背面側は、脇障子を立てて仕切られています。
母屋柱は床下も円柱に成形されています。
諏訪社本殿
向かって左隣(西側)には諏訪社。
一間社流造、檜皮葺。
安土桃山時代の建立と考えられています(安土町設置の案内板より)。江戸後期と明治期に修理を受けていますが、当初材がよく残り原形をとどめているとのこと。安土町(現 近江八幡市)指定文化財。
祭神は諏訪神(タケミナカタと八坂刀女)。
奥石神社本殿と較べると、構造・意匠ともに簡略で、古風にも見える造り。
頭貫木鼻がない点や、柱上の舟肘木で桁を受けている点がとくに古風です。
以上、奥石神社でした。
(訪問日2021/03/13)