今回は滋賀県近江八幡市馬淵町(まぶちちょう)の八幡社(はちまんしゃ)について。
八幡社は国道8号沿線の住宅地に鎮座しています。
創建は不明。社伝によれば、源義家が熱病にかかった馬を当地で休ませたところ平癒したことから、八幡神を勧請したのが由来のようです。戦国期には織田信長の軍勢による焼き討ちに遭い、安土桃山期に社殿が再建されたとのこと。
現在の境内は拝殿と本殿だけのシンプルな内容ですが、本殿は安土桃山期のものが現存していて、国重文に指定されています。
現地情報
所在地 | 〒523-0022滋賀県近江八幡市馬淵町2447(地図) |
アクセス | 近江八幡駅または武佐駅から徒歩35分 竜王ICまたは蒲生スマートICから車で10分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | なし |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
拝殿
八幡社の境内は南東向き。入口は国道8号線に面しています。
入口には鳥居があるのですが、写真を撮り忘れたため省略。鳥居は木造の明神鳥居でした。
拝殿は入母屋(妻入)、桟瓦葺。
滋賀県内によくある吹き放ちの拝殿。柱は角柱で、すべての柱間に建具ない開放的な造り。
拝殿の右手には手水舎。
本殿
拝殿の後方には中門と塀に囲われた本殿が鎮座しています。
祭神は誉田別命などの八幡三神。
中門は一間一戸、切妻、桟瓦葺。
柱は角柱。
柱から男梁を伸ばし、桁を受けています。男梁の下に添えられた女梁は、丸く繰り取られた独特の形状。
本殿は桁行3間・梁間1間、三間社流造、向拝1間、檜皮葺。
様式について案内板には“三間社流造・瓦棒銅板葺”と書かれていて、屋根葺きがちがっていますが、これはおそらく復原修理前の様式でしょう。
造営年は1596年。国指定重要文化財。
詳細は下記のとおり。
本殿は、元亀二(一五七一)年織田信長の兵火に焼失したが、文禄五(一五九六)年に至り、大岡作左衛門尉長広によって再建された(社蔵当初擬宝珠・同じく鰐口銘文による)。
その後、数度の修理・改修がおこなわれたが、昭和四一(一九六六)年の解体修理によりもとの形に復原された。
近江八幡市教育委員会
八幡社
向拝柱は角柱。比較的新しいものなので、面取りは小さめ。
向拝は母屋と同じ横幅ですが、柱間の柱を省略して向拝1間となっています。
虹梁中備えは蟇股と組物(出三斗)。木鼻は麒麟と思われます。蟇股・木鼻ともに退色していますが極彩色に塗られていて、安土桃山期の華やかな作風が観察できます。
柱上の組物は連三斗。麒麟の木鼻の上に巻斗が置かれ、持ち送りされています。この本殿は組物と桁のあいだに実肘木が使われていますが、滋賀県内の神社本殿は組物の巻斗で直接桁を受けることが多いです。
向拝の下、母屋正面側には角材の階段が7段。
昇高欄の親柱は擬宝珠付き。階段の下には浜床。
階段の横幅は母屋の2間ぶんくらいで、なんとなく中途半端な印象。昇高欄親柱が向拝柱の筋からずれた場所に立てられており、スペースが空いているのが少々気になります。
母屋柱は円柱で、梁間(奥行き)は1間となっています。三間社は梁間2間が基本なので、柱を省いて簡略化した構造と言えるでしょう。
影になっていて見えないですが、母屋正面は中央の1間にだけ扉があります。
縁側は切目縁が3面にまわされています。欄干は跳高欄。縁の下は縁束。
縁側後方は脇障子を立ててふさがれています。
母屋柱は床下も円柱に成形されていて、亀腹の上に乗っています。
暗くて見えないですが中備えは間斗束、妻飾りは豕扠首。
破風板の拝みと桁隠しには猪目懸魚。
大棟には鬼瓦。
背面軒下。
木鼻は拳鼻。
組物は連三斗と出三斗。中備えはありません。
脇障子の上には小さな欄間彫刻があります。
滋賀県内の神社本殿は様式を厳格に守った作風が多いですが、この本殿は比較的新しい時代のものだからなのか、だいぶ砕けていて自由でのびのびとした作風だと思います。
以上、八幡社(馬淵町)でした。
(訪問日2021/03/13)