今回も長野県佐久市蓬田の八幡神社について。
当記事では瑞垣門と国重文の高良社本殿について述べます。
瑞垣門
随神門の先には瑞垣門なる名称の門があります。
一間一戸の唐門(平入)、銅板葺。
柱は円柱。上端がわずかに絞られています。
男梁をのばし、先端に出三斗を置いて桁を受けています。下部は女梁で持ち送りされています。
男梁の上には木鼻のような部材がありますが、なんとも言えない独特な技法で彫られています。寺社建築ではほとんど見かけない、風変わりな意匠です。
柱と柱にわたされた虹梁は、中央に粽の円柱(束)を立てて二分されています。そして束から男梁と女梁が伸びています。男梁の上にあるのはおそらく蟇股ですが、この場所に挟むようにして蟇股を使うのは初めて見ました。
虹梁中備えの蟇股は、松につがいの鳩。反対側も同様。
柱の上部には頭貫と台輪が通り、台輪の上では力神が膝立ちのポーズで棟木をかついでいます。
破風板の拝みには蕪懸魚。
軒裏の茨垂木は2本並べて間隔を置く、吹寄せになっています。
大棟鬼板は菊の紋。
瑞垣門の後方に立てられている控柱は、製材されていない丸太が使われています。
見た目はともかく、強度的にはこれで充分だと思います。
高良社本殿
瑞垣門の先、拝殿の手前には高良社本殿(こうらしゃ-)が鎮座しています。
もとは八幡神社本殿として造られたものですが、現在の八幡神社本殿(その3にて後述)が造られたときに高良社として祀られています。
桁行3間・梁間1間、三間社流造、向拝1間、こけら葺。
1491年(延徳三年)建立。国指定重要文化財。
祭神は武内宿禰。
正面に3組の扉がついた三間社。それに対し向拝は1間で階段の幅が広いためか、開放的な印象。
室町中期の神社建築にしては装飾が多くて派手ですが、くどい感じはありません。
向拝柱は几帳面取り。上端が絞られています。
木鼻は側面に象の彫刻がついています。像の反対側、虹梁の下には繰型のついた持ち送り。
柱、木鼻、持ち送りは、室町中期にしては新式の(言いかえればあまり古く見えない)造りだと思います。
柱上の組物は出三斗をベースとしたもの。
左に見切れてしまっていますが、虹梁中備えには組物が2つ置かれています。梁間の柱を省き、組物だけ置いたという感じです。
向拝柱の組物には3本の桁が通っています。
海老虹梁は母屋側・向拝側ともに桁のすぐ下に取りついており、軒裏すれすれを通っています。スペースがないせいか、ここの手挟は省略されています。
向拝の下には角材の階段が7段。この規模の本殿にしては急で段数が多く、一段一段が小さいです。
階段の下には浜床。賽銭箱が置かれています。
ほとんどの材は白木ですが、扉は黒地に金色で紋が描かれています。紋は左手前から三つ柏、菊、五七の桐。
母屋柱は円柱で、上部が絞られています(粽柱)。
柱の上部には頭貫が通り、台輪がまわされています。頭貫と台輪には禅宗様の木鼻。
粽柱も禅宗様の意匠なので、この本殿は和様と禅宗様の折衷様式と言えます。
柱上の組物は出組。桁下には軒支輪。
縁側はくれ縁が3面にまわされています。欄干は擬宝珠付き。
脇障子や母屋に彫刻の類はありません。
左側面(西面)。
側面は柱間にも組物が配置され、詰組になっています。
写真左の組物からはアーチ状の部材が伸び、脇障子につながっています。見慣れない意匠ですが、この日の寺社めぐりでは何度か見かけたので、佐久地域に特有のものかもしれません。
妻飾りは大瓶束。木鼻には若葉のような意匠が彫られています。
背面。こちらはとくに目立った意匠はなし。
床下は板でふさがれています。
破風板の拝みと桁隠しには蕪懸魚。赤く着色された鰭は、よく見ると松葉の意匠になっていました。
全体図。
軒唐破風や千鳥破風のない純粋な流造のため、屋根や破風板がきれいな「へ」の字を描いています。
瑞垣門と高良社本殿については以上。