今回は長野県佐久市蓬田(よもぎだ)の八幡神社(はちまん-)について。
八幡神社は旧中山道・八幡宿(やわたしゅく)に鎮座しています。
創建は不明。伝承では859年(貞観元年)に滋野貞秀によって勧請されたとのこと。鎌倉末期に成立した『吾妻鑑』に当社とみられる記載があり、その頃には確立して武士から信仰されていたようです。戦国期には武田氏、江戸期には歴代の領主の庇護を受けています。
社殿については楼門形式の随神門や彫刻で飾られた本殿があるだけでなく、摂社の旧本殿(高良社)は室町時代の造営で、国重文に指定されています。ほか、境内には諏訪社や厳島社もあり、充実した内容です。
当記事ではアクセス情報および随神門、神楽殿について述べます。
拝殿、本殿、境内社については「その3」をご参照ください。
現地情報
所在地 | 〒384-2107佐久市蓬田101-1(地図) |
アクセス | 佐久平駅にて仲仙道線に乗車 八幡神社前バス停下車、または中佐都駅から徒歩1時間 佐久中佐都ICから車で10分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり(要予約) |
公式サイト | なし |
所要時間 | 30分程度 |
境内
参道
八幡神社の境内は南向き。
入口は幹線道路に面しており、車通りの多さのわりに歩道が狭いのが気になりました。
一の鳥居は石造の明神鳥居。社号標は「八幡神社」。
巨木の立つ参道を進むと二の鳥居。
木造の両部鳥居。笠木と稚児柱に銅板葺の屋根がついています。扁額は「八幡宮」。
なお、楼門の前の案内板には“八幡神社”、拝殿の隣の案内板には“八幡社”と記述されていて、この神社は社名の表記揺れが多いです。
当ブログでは、記事タイトルに困ったときは長野県神社庁のホームページにある登録名を使うようにしていますが、この八幡神社は神社庁に非加盟の模様。佐久市ホームページに八幡神社と書かれていたため、記事タイトルはそれにならっています。
随神門
随神門は三間一戸の楼門、入母屋(妻入)、桟瓦葺。
案内板(設置者不明)によると造営は1843年(天保十四年)。小諸藩主・牧野遠江守康哉の寄進。
下層。中央の通路は虹梁が少し高い場所を通っています。
虹梁の若葉は立体的に波が彫られています。
頭貫木鼻は唐獅子。組物は二手先。
中備えの彫刻は、松につがいの鳥(山鵲?)が舞っています。
向かって左側。虹梁の上の彫刻は笹と鳳凰。頭貫の上も同様。
柱には唐獅子の木鼻が斜め方向についています。この唐獅子はなぜか瞳が入れられており、どこかコミカルで愛嬌のある表情。
右側面(東面)。
中備えなどの彫刻はなく、壁板を横方向に張っただけとなっています。
上層。
扁額は「止矛爲武」(矛を止めて武を為す)。
柱間は、中央が桟唐戸、その左右は盲連子。
縁側は切目縁で、欄干は擬宝珠付き。
頭貫の上の中備えは蟇股。雲の意匠です。
組物は尾垂木の出た三手先。板支輪には菊水が彫られています。
軒裏は二軒繁垂木。
側面の入母屋破風。
鬼板には五弁の花のような模様がついています。
破風板の拝みには鰭付きの蕪懸魚。内部は笈形付き大瓶束。
背面。
こちらは中備えなどの欄間彫刻がなければ木鼻の唐獅子もありません。
目立たない背面の手間を省いていて、良く言えば合理的かつ経済的、悪く言えばハリボテみたいな造り。
神楽殿
随神門を通ると左手に神楽殿らしき社殿があります。
入母屋、桟瓦葺、玄関は向唐破風、こけら葺。
柱には木鼻がついており、正面は唐獅子の彫刻、側面はくり抜かれた象鼻。
虹梁は唐草が彫られ、中備えには彩色された竜の彫刻が配置されています。
唐破風の拝みには、結綿の兎毛通が下がっています。
鬼板は地の木材が露出していますが、菊の紋が確認できます。
母屋正面の梁の上には、彫刻の入った扁額。
猿を題材にしているようですが、退色がひどく詳細はわからず。
随神門と神楽殿については以上。