甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【韮崎市】勝手神社

今回は山梨県韮崎市の勝手神社(かって-)について。

 

勝手神社は市東部の住宅地に鎮座しています。

創建は961年とされ、勝手神社(奈良県吉野町)から勧請されたようです。室町末期には火災や水害を受け、境内が更地になるほどの被害を受けたとのこと。現在の社殿は造営年不明ですが、本殿は彫刻で飾られた春日造となっています。

 

現地情報

所在地 〒407-0012山梨県韮崎市岩下989(地図)
アクセス 韮崎駅から徒歩25分
韮崎ICから車で5分
駐車場 なし
営業時間 随時
入場料 無料
社務所 なし
公式サイト なし
所要時間 5分程度

 

境内

勝手神社の石鳥居

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勝手神社の境内入口には、道路脇にこのような石鳥居が立っています。

石造の明神鳥居。甲府盆地近辺でしばしばみかける、背が低く柱の太いプロポーションの鳥居です。

案内板*1によると1540年(天文九年)の造営。高さ1.72メートル、柱の軸間は1.20メートル、石質は安山岩。県指定文化財です。

詳細は割愛しますが、案内板には年代推定に用いた資料の真偽についての話題もあり、読み応えのある内容でした。

 

鳥居と拝殿

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境内入口は集落の細い生活道路に面しています。

前述の石鳥居やこの鳥居は南西向きですが、後述の社殿はいずれも南東向きです。

鳥居は石造の明神鳥居。

 

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鳥居をくぐって左に90度折れると拝殿があります。

切妻、銅板葺。

 

本殿

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拝殿の後方には玉垣に囲われた本殿が鎮座しています。

一間社春日造、銅板葺。

造営年は不明。彫刻の内容から、江戸後期か明治以降のものと思われます。

祭神はアメノオシホミミ、愛鬘命(うけのりのみこと)、タケミカヅチの3柱。

 

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向拝柱は几帳面取り。木鼻は正面が唐獅子、側面が獏。

水引虹梁は省略され、大きな龍の彫刻を配置するというなんとも豪快かつ大胆な造りになっています。ここはかなり新しい作風だと思います。

左奥の母屋は、正面の柱間から少し奥まった個所に扉が立てつけられています。

 

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向拝柱と母屋は海老虹梁でつながれています。

向拝柱の柱上には出三斗が置かれ、その上の手挟は菊が籠彫されています。

 

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母屋柱は円柱。軸部は長押と頭貫で固定され、頭貫木鼻は唐獅子。

柱上の組物は尾垂木の出た二手先。柱間にも組物が置かれ、詰組になっています。

組物のあいだの中備えにも彫刻がありますが題材不明。桁下には板支輪と巻斗。

 

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縁側は切目縁が3面にまわされています。欄干は擬宝珠付き。床下は縁束。

背面をふさぐ脇障子には竜の彫刻。

 

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背面。春日造なのでこちらは完全な切妻になっています。

組物や桁下の構造は側面と同様。

持ち出された妻虹梁は無地。妻飾りは豕扠首らしき意匠が使われています。

破風板は銅板でカバーされており、拝みには蕪懸魚が下がっています。桁隠しはありません。

 

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鬼板の紋は武田菱、大棟の紋は花菱となっていました。

 

以上、勝手神社でした。

(訪問日2020/12/18)

*1:山梨県教育委員会と韮崎市教育委員会による設置