今回は山梨県甲府市の佐久神社(さく-)について。
佐久神社は甲府南ICの近くの農地に鎮座しています。
創建は崇神天皇の時代(紀元前100年頃)とされ、かつて湖だったという甲府盆地の岸を開削し、富士川へ水を流して広大な平地を開拓した蹴裂伝説が由来とのこと。平安期の『延喜式』にも記載があり、笛吹市の佐久神社とともに式内論社に比定されています。
当初の社殿は山の上にあったようですが、1545年に現在地へ遷座。現在の本殿は江戸中期に造営され改修されたものとのこと。
現地情報
所在地 | 〒400-1507山梨県甲府市下向山町892(地図) |
アクセス | 甲府南ICから車で5分 |
駐車場 | 20台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | なし |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
参道と社殿
佐久神社の境内は南西向き。農地の一角に面しています。
鳥居は石造の明神鳥居。扁額は「佐久神社」。
石段を登るとすぐに拝殿が現れます。
拝殿は入母屋(平入)、正面千鳥破風付、向拝1間、銅板葺。
拝殿前のスペースが狭く、全体を収めようとした結果このようなアングルの写真になりました。
向拝柱は几帳面取り角柱。木鼻は正面も側面も拳鼻。
虹梁中備えは菊水が彫られた蟇股。
母屋正面の戸の上の扁額は「佐久神社」。
軒裏は一重まばら垂木。
向拝柱と母屋は、湾曲した海老虹梁でつながれています。スパンがやや短いせいか、ちょっと寸詰まりな印象。
手挟は花のような意匠の繰型が彫られており、他ではあまり見かけない意匠となっています。
組物は二手先。上に向かって広がってゆく、禅宗様の組物と似た構成。
拝殿の右手(南)には神楽殿と由緒書き。
神楽殿は入母屋、鉄板葺。三方が吹き放ちになったタイプ。
本殿
拝殿の後方には玉垣に囲われた本殿が鎮座しています。
桁行正面1間・背面2間・梁間2間、三間社入母屋、向拝1間、銅板葺。
1719年(嘉永六年)再建。旧中道町(現甲府市)の町指定文化財だったようです。
祭神は向山土本毘古王(むこうやまとほひこおう)。ホオリの子孫とのこと。ほか、タケミナカタ(諏訪神)とククリヒメ(白山神)も合祀されているようです。
向拝柱は角面取り。比較的新しいものなので、C面の幅は小さめ。
木鼻は正面が唐獅子、側面が獏。ここも江戸中期らしい作風。
虹梁は唐草が彫られ、中備えは木鼻のついた平三斗。
向拝柱と母屋は海老虹梁でつながれています。滑らかなS字のカーブを描き、細くて流麗な印象。
注目すべきは海老虹梁の母屋側。ふつうは柱のある場所から伸ばすのですが、母屋の虹梁の中間の中途半端な場所から伸びています。向拝と母屋のバランスをとるための工夫でしょう。
手挟の造形も面白く、竜の頭が彫られています。
向拝の軒下には角材の階段が5段。階段の下には浜床。
昇高欄は擬宝珠付きで、向拝柱から少し離れています。
母屋には1間奥まった場所に3組の板戸が立てつけられています。
母屋柱は円柱で、軸部は貫と長押で固定されています。頭貫木鼻は拳鼻。
柱上の組物は尾垂木の出た三手先。持ち出された桁の下には、並んだ巻斗や板支輪が見えます。
縁側は切目縁が4面にまわされ、欄干は擬宝珠付き。
縁の下は一手先の腰組で支えられ、腰組の大斗の下には台輪が通っています。
縁側の背面は脇障子でふさがれており、脇障子の羽目板の彫刻は牡丹に戯れる唐獅子。
背面。柱間3間と思いきや、2間となっています。
軒下の意匠は側面と同様で、壁面に彫刻などはありません。
入母屋破風の内部には大斗が3つ並び、通し肘木を介して妻虹梁を受けています。
破風板の拝みには蕪懸魚。片側の鰭が欠損してしまっています。
大棟の鬼板には菊の紋。
以上、佐久神社でした。
(訪問日2020/12/18)