今回は山梨県笛吹市の佐久神社(さく-)について。
佐久神社は笛吹市と甲府市の境界に近い住宅街に鎮座しています。
境内は公園の敷地の隅の一角で、さほど広くはないものの神楽殿もあり、とくに本殿は豪華なものになっていて、幕末期の精緻な彫刻が各所に配置されています。
現地情報
所在地 | 〒406-0043山梨県笛吹市石和町河内(地図) |
アクセス | 酒折駅または石和温泉駅から徒歩50分 笛吹八代スマートICから車で5分 |
駐車場 | 10台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | なし |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
拝殿と神楽殿
佐久神社の境内は南向きで、入口には石製の鳥居が立てられています。扁額の字は「佐久神社」
冒頭に書いたように境内の大部分が公園になっており、訪問時は地元の方々がゲートボールに興じられていました。
参道を進むと、瓦葺の入母屋の拝殿があります。
左手には神楽殿、右手には水の出ていない手水舎。
神楽殿は銅板葺の入母屋(妻入)。四方すべてに壁がなく、吹き放ち。
山梨県の神社にある神楽殿は、こういった壁のないものが多いです。
本殿
拝殿の裏手には本殿があります。上の写真は正面の唐破風の部分。
本殿は銅板葺の三間社流造(さんけんしゃ ながれづくり)で、正面向拝に軒唐破風(のき からはふ)付き。正面3間・側面2間、向拝1間という規模になっていて、神社本殿としては大規模な部類に入ります。
棟梁については不明ですがこの本殿は1862年(文久二年)の造営で、かなり新しいものです*1。
往古の甲府盆地は湖だったという伝説(湖水伝説)がありますが「岩裂(いわさく)・根裂(ねさく)という2柱の神が山を裂いて湖水を流出させ、現在の甲府盆地がうまれた」とのことで、その2神を祀ったのが佐久神社の由来だそうです。
ちなみに、甲府市の穴切大神社にも似たような伝説があります。
佐久というと長野県の佐久地域を連想してしまいますが、“さく”という音はどうやら岩裂・根裂から来ているようです。
向拝の軒下を右前方から見た図。
写真中央左に写っている角柱には、網に覆われた唐獅子と麒麟の彫刻。その左上のほうにも網に覆われた彫刻が見えますが、左端に見切れている屋根が邪魔で、題材を特定できず。
向拝の角柱は、湾曲した海老虹梁(えびこうりょう)で写真右の母屋とつながっています。
母屋の右側面。
母屋の側面は2間ですが、正面側の1間は壁がありません。このように正面側の1間を吹き放ちにする例は、甲府盆地の神社でときどき見かけます。
母屋の柱はいずれも円柱で、柱の上にはやはり網で覆われた唐獅子の木鼻がついています。唐獅子のあいだには草木と鳥が彫られた彫刻が配置されています。
写真右端に見切れている脇障子(わきしょうじ)は人物像と思しき彫刻が施されていました。なお、脇障子は斜め向きに取り付けられています。
右側面の妻壁。
唐獅子の木鼻の上では、三手先(みてさき)の組物で虹梁(こうりょう)が持出しされています。虹梁に鎖が付いている理由は不明。
その虹梁の上にはさらに組物と虹梁があります。妻壁のてっぺんには波の意匠の笈形(おいがた)が添えられた大瓶束(たいへいづか)が棟を受けています。
右側面の床下。
縁側は壁面と直交に板を張った切目縁(きれめえん)。床下は、四手先の組物で支えられています。
特に写真の左右の組物は、上に向けて規則的に広がるような構成をしていて、幾何学的な美しさがあります。
本殿を右後方から見た図。
母屋の背面は4本の柱で構成されており、三間社なので間口は3つ。後方にもしっかりと唐獅子の木鼻がつけられています。また、縁側も背面までまわされています。
つっかえ棒みたいな丸太が何なのかは不明です。
左側面を前方から見た図。
こちら側も、なぜか虹梁に鎖が付けられています。
母屋の内部には扉が3枚。岩裂と根裂のほか、タヂカラオ(手力男)も合祀されていて、3柱なので扉も3つあるのでしょう。
扁額の字は、退色していて判読不能でしたが、文字のシルエットからして「佐久大神社」と書かれているように見えます。
以上、佐久神社でした。
(訪問日2019/11/09)
*1:山梨県教育委員会と笛吹市教育委員会の案内板より