甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【高崎市】榛名神社 後編(双竜門、神楽殿、本社・拝殿・幣殿)

今回も群馬県高崎市の榛名神社(はるな-)について。

 

前編では随神門、五重塔などについて述べました。

後編では双竜門、神楽殿、本社・拝殿・幣殿について紹介・解説いたします。

 

双竜門

f:id:hineriman:20201216120939j:plain

薬医門の先には双竜門(そうりゅうもん)があります。

一間一戸、四脚門、入母屋、正面背面千鳥破風付、四面軒唐破風付、銅板葺。

1856年(安政三)建立。棟梁は富岡村(現高崎市)の住人である清水和泉守充賢、彫刻は熊谷宿(現熊谷市)の長谷川源太郎。

後述の神楽殿、本社・拝殿・幣殿とともに国重文に指定されています。

 

四脚門の屋根はたいていが切妻なので、入母屋はめずらしいです。さらに前後に千鳥破風がついているだけでなく、前後と左右にまで軒唐破風がついており、非常に複雑で特異な形状の屋根になっています。

 

f:id:hineriman:20201216121015j:plain

正面の軒下。扁額は「双竜門」。

虹梁は紗綾形の文様のうえに唐草が浮き彫りになっています。下部には持ち送りとして菊の籠彫りが添えられています。

虹梁の上には台輪がまわされ、組物は尾垂木二手先。中備えには故事を題材にしたと思われる人物像が彫られています。その上には巻斗。桁下は板支輪。

 

ほかの部分も解説したかったのですが、写真を撮る余裕がなかったうえ、再訪したところ工事中だったため解説はあえなく割愛。

 

神楽殿

f:id:hineriman:20201216121042j:plain

双竜門をすぎると左手に神楽殿があります。

切妻(妻入、唐破風)、銅板葺。

1764年(明和元年)再建。棟梁は佐藤直右衛門。

こちらも国重文

 

前方の1間が吹き放ちのほか、この手の神楽殿にしてはめずらしいことに円柱が使われています。

 

f:id:hineriman:20201216121108j:plain

虹梁は唐草が彫られ、木鼻はいずれも拳鼻。

中備えと柱上の組物は出三斗で、組物のあいだでは間斗束が実肘木を介して梁を受けています。

梁の上では束ではなく力神が棟を受けていて、その両脇には雲の意匠の彫刻が配置されています。

 

f:id:hineriman:20201216121124j:plain

縁側は切目縁。欄干は擬宝珠付き。腰組は四手先。

円柱の床下は、八角柱になっていました。

 

f:id:hineriman:20201216121137j:plain

腰組を真横から見た図。

床下なので間近で観察でき、しっかりと4回持出しされているのがわかります。

 

本社・拝殿・幣殿

f:id:hineriman:20201216121158j:plain

神楽殿のはす向かいには本社・拝殿・幣殿が鎮座しています。

写真は拝殿部分で、桁行3間・梁間2間、入母屋(平入)、正面千鳥破風付、左右軒唐破風、向拝1間 軒唐破風付、銅板葺。

本社・拝殿・幣殿ともに1806年(文化三年)の再建。国指定重要文化財。

 

f:id:hineriman:20201216121233j:plain

向拝柱は几帳面取り角柱。面には菱形の文様が彫られています。

虹梁は唐草が浮き彫りになっており、下部には梅と思しき彫刻。木鼻は正面が唐獅子、側面が菊の籠彫。

柱上の組物は連三斗を拡張し、丸桁だけでなく唐破風の桁も受けています。

唐破風の軒下は束と波の彫刻。

唐破風の兎毛通は鳳凰。

 

f:id:hineriman:20201216121249j:plain

向拝柱と母屋は湾曲した海老虹梁でつながれており、竜がからみついています。

こちら側(向かって右)は下り龍、反対側は昇り竜。

軒裏を受ける手挟は梅と思しき籠彫。

 

f:id:hineriman:20201216121310j:plain

母屋柱は円柱で、黒字に白で波の模様が彫られています。

柱間の建具は中央が桟唐戸、左右は蔀。

虹梁の上の欄間にも彫刻が配され、扁額は「鎮護国家」。

組物は尾垂木三手先。桁下には板支輪。

 

f:id:hineriman:20201216121332j:plain

右側面。

柱間は引き戸。頭貫には紗綾形の文様。

頭貫木鼻は唐獅子と菊の籠彫。中備えは鳥などが彫られた蟇股。

そしてこちら側にも軒唐破風が設けられており、唐破風の下には題材不明の彫刻、兎毛通は波に鳳凰。

 

f:id:hineriman:20201216121407j:plain

軒裏は二軒の繁垂木。

隅木の下を見ると、組物から出た麒麟の彫刻が隅木の下部を受けています。

 

f:id:hineriman:20201216121423j:plain

縁側は切目縁が4面にまわされています。欄干は擬宝珠付き。

脇障子は人物像(竹林七賢人?)が彫られ、枠には菱形の文様がついています。

 

f:id:hineriman:20201216121442j:plain

縁の下は三手先の腰組で持出しされています。さらに組物の基部は波に唐獅子の籠彫りになっているのが独特。

桁下には板支輪、腰羽目は波に千鳥の意匠。

 

f:id:hineriman:20201216121504j:plain

つづいてこちらは幣殿。左が拝殿、右が本社になります。

梁間1間・桁行3間、両下造、銅板葺。

拝殿と本社が両下造(妻入の切妻のこと)の幣殿で一体化された構造になっており、これは広義の権現造にあたります。

 

柱は円柱。写真中央は桟唐戸、左右は火灯窓。

軒下の意匠は拝殿とほぼ同じです。

幣殿の垂木は拝殿・本社の垂木と直交しているため、入組んだ複雑な納めかたをしているのが1つの見どころと思います。

 

f:id:hineriman:20201216121554j:plain

床下には籠彫付きの腰組と、板支輪、腰羽目。

 

f:id:hineriman:20201216121609j:plain

幣殿の後方、岩山にめり込んでいるのが本社。この社殿は本殿ではなく「本社」と呼称するようです。

梁間3間・桁行2間、三間社春日造、向拝1間、銅板葺。

祭神はカグツチと埴山姫。

 

建築様式は入母屋(妻入)のように見えますが、文化遺産オンラインによると隅木入春日造とのこと。

よってこの本社は非常にめずらしい三間社隅木入り春日造(さんけんしゃ すみきいり かすがづくり)のようです。ふつうの春日造は梁間(正面)1間の一間社春日造であり、それ以外の様式はほとんど例がありません。

 

また、権現造の社殿の本殿部分は入母屋(平入)か流造が大多数ですが、春日造は私の知る限りではほかに例がありません。

ちなみに狭義の権現造は久能山東照宮などのように本殿が入母屋(平入)のものであるので、この社殿は“広義の”権現造といったところでしょう。

 

f:id:hineriman:20201216121719j:plain

向拝柱は几帳面取りの角柱。柱上の組物は連三斗をベースとしたもの。

木鼻は正面が唐獅子、側面が獏。

向拝柱と母屋柱は海老虹梁でつながれ、その下には貫、軒裏には籠彫りの手挟。

 

母屋柱は円柱。組物は尾垂木三手先。

 

f:id:hineriman:20201216121743j:plain

かなり分かりにくいですが桁行(側面)は2間で、脇障子の奥にも母屋が続いており、母屋の柱間に脇障子が立てられるという変わった造りになっています。

 

f:id:hineriman:20201216121759j:plain

本社にも腰組がありますが、こちらは二手先。

腰羽目の下には長押が打たれています。

 

社殿については以上。

 

f:id:hineriman:20201216121815j:plain

最後に五重塔と手水舎のあいだの通路の途中にあった滝。

3月初頭の午後の訪問でしたが、滝が凍って氷瀑になっていました。

 

以上、榛名神社でした。

(訪問日2019/03/01,2020/11/22)