甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【高崎市】榛名神社 前編(随神門、三重塔など)

今回は群馬県高崎市の榛名神社(はるな-)について。

 

榛名神社は高崎市の山中に鎮座しています。

創建は586年にさかのぼり、山中に神籬を立てたのが始まりといわれます。平安期の『延喜式』にも記載されていて、上野国六宮とされています。江戸期までは榛名山巌殿寺あるいは榛名寺と称し、神仏習合の要素の強い霊場でしたが、明治期の神仏分離で純粋な神社として現在の榛名神社を称するようになっています。

境内は長大で、川沿いの参道に多数の社殿が鎮座しています。本社などの6棟は国重文に指定されているほか、群馬県では希少な三重塔があるなど、きわめて充実した内容です。

 

現地情報

所在地 〒370-3341群馬県高崎市榛名山町849(地図)
アクセス 高崎ICまたは渋川伊香保ICから車で1時間
駐車場 50台(無料)
営業時間 随時(※夜間は一部閉門)
入場料 無料
社務所 あり
公式サイト 榛名神社公式サイト
所要時間 1時間程度

 

境内

随神門

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榛名神社の入口は南西向き。後述の本社・拝殿・幣殿も同様に南西向きです。

鳥居は銅板でカバーされた明神鳥居。扁額はありません。

社号標は「榛名神社」。

 

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随神門。

三間一戸の八脚門、桁行3間・梁間2間、入母屋(平入)、正面背面軒唐破風付、銅板葺。

1847年の建立本社などとともに国重文に指定されています。

江戸期までは仁王門だったようです。

 

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柱はいずれも円柱。

中央の通路の上には虹梁がわたされ、波が彫られています。

虹梁下部の持ち送りは菊の意匠。

頭貫木鼻は唐獅子が彫刻されており、本来なら木鼻を配置しない虹梁中央上部にも菊の籠彫りがついています。

 

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右側面(東面)。

柱間は壁板が横方向に張られ、頭貫には唐獅子や菊の木鼻がついています。

柱上の組物は尾垂木三手先。桁下の板支輪には波や菊の彫刻。板支輪の下は巻斗がびっしりと並んでいます。

軒裏は二軒、繁垂木。

 

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柱の下端はわずかに絞りがついていて粽のようになっています。

礎石はそろばんの珠のような形状をしていて、禅宗様を思わせる意匠です。

 

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写真上が内部中央の虹梁、下が背面側の虹梁。

正面側の虹梁と同様、ほかの虹梁も下部に菊の持ち送りが添えられています。

背面側の虹梁の中央には大瓶束が立てられ、その上には出組。

天井の桁を一手先に持出し、桁下の板支輪は波が浮き彫りになっています。

 

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背面の軒下。

正面だけでなく背面にも軒唐破風がついています。

兎毛通は、こちら側は鳳凰、正面側は松に鶴でした。

 

三重塔(神宝殿)

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川沿いの参道を進むと、左手に三重塔(神宝殿)が鎮座しています。

三間三重塔婆、銅板葺。全高16メートル。

1869年再建県内で唯一の三重塔のようで、市指定重要文化財です。

 

プロポーションは、どちらかといえば寸胴。手前の木が邪魔になってしまっているのもあって、あまり格好いいとは言えないと思います。

 

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初重正面。

柱はいずれも円柱。中央には両開きの桟唐戸がありますが、左右側面や背面は板張りになっていました。

 

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柱の上部は長押で固定され、頭貫には金色の唐獅子の木鼻。

柱上は台輪がまわされ、中備えは蟇股。蟇股は極彩色で、十二支が彫られています。

組物は尾垂木三手先。桁下には巻斗と軒支輪が見えます。

 

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二重および三重。

大部分は初重と同じ造りをしていますが、二重三重は中備えの蟇股が省略されています。

また、二重三重には縁側がまわされ、縁の下は皿付きの大斗と木鼻がついた腰組で受けられています。

 

逆光で見づらいですが、初重と二重の軒裏が平行垂木であるのに対し、三重は扇垂木となっています。

「三重塔の三重だけが扇垂木」という例は私の知る範囲だと光前寺(駒ケ根市)、貞祥寺(佐久市)、五智国分寺(新潟県上越市)があり、いずれも幕末から明治のものです。この時代の流行・作風なのでしょうか。

 

手水舎と神幸殿

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手水舎は参道右手の突き当りにあります。

入母屋、正面軒唐破風、桟瓦葺。背面は未確認。

虹梁には木鼻がつけられ、中備えは蟇股。組物は出三斗。

混雑していて詳細を観察する余裕がありませんでした。

 

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手水舎のはす向かい、参道左手には神幸殿(みゆきでん)。

入母屋(妻入)、銅板葺。1859年建立

こちらも国重文

 

柱は円柱で、正面には大きな虹梁が渡されています。

頭貫木鼻は唐獅子、柱上の組物は出組、中備えは蟇股。

虹梁の中央上部にも木鼻と組物が配置されており、中央に立てるはずの柱を省略したような外観をしています。

 

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手水舎と神幸殿の先には名称不明の門。左奥は双竜門の左側面。

門は一間一戸の薬医門、切妻、銅板葺。

造営年不明。

 

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柱の上には、先端に繰型がついた男梁がわたされています。

男梁の先端(写真左上)には斗が載り、軒桁を受けています。

そして桁下にはまばらな軒支輪(S字状の部材)があります。薬医門に軒支輪をつかっているのは初めて見ました。

 

他の社殿と較べて地味で、これといった名前もなさそうな門ですが、薬医門にしては風変わり。私は他の社殿よりもこの薬医門がいちばん新鮮に感じました。

 

双竜門、神楽殿、本社・拝殿・幣殿については後編で紹介・解説いたします。