甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【松本市】諏訪社(入山辺橋倉)と南方諏訪神社

今回は長野県松本市の諏訪社(入山辺橋倉)と南方諏訪神社について。

 

諏訪社(入山辺橋倉)

所在地:〒390-0222長野県松本市入山辺230(地図)

 

諏訪社(すわしゃ)は市東部の入山辺橋倉(いりやまべ はしくら)集落に鎮座しています。

創建は不明。境内案内板*1によると小笠原氏の守護神として祀られているとのこと。社殿はいずれも小規模で年代不明ですが、本殿は後述の南方諏訪神社と似た造りをしています。

 

境内

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諏訪社の境内はおそらく南向き。

山の斜面を均した狭い場所に鳥居、神楽殿、拝殿、本殿が一直線に並んでいます。

鳥居は木造の両部鳥居。扁額は「諏方大神」。

写真奥の神楽殿は切妻、桟瓦葺。

 

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拝殿は切妻、桟瓦葺。

手前には御柱が立てられており、写真右の札には「橋倉諏訪神社 一之御柱」とあります。

ここでは“諏訪神社”と書かれていますが、境内案内板には“諏訪社”とありGoogle Mapでも同様だったので当記事でもこちらの表記に準じています。

 

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拝殿の後方には本殿が鎮座しています。拝殿と本殿は両下造(妻入の切妻)の幣殿らしきものでつながれていて、権現造っぽい構造。

本殿は一間社流造(いっけんしゃ ながれづくり)、銅板葺。

造営年は不明。後述の南方諏訪社と細部意匠が似ていることから、江戸中期のものではないかと思います。

 

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向拝はよく見えないので妻壁から。

母屋柱は円柱。頭貫には拳鼻。中備えは蟇股。

組物は出組で、妻虹梁の下には「流水に紅葉」。妻虹梁の上には大瓶束と豕扠首を組み合わせた妻飾り。

 

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大棟の鬼板の紋は諏訪梶ですが、若干省略されていて梶の根が3つになっています。

破風板は、拝みから蕪懸魚が下がっているほか、桁隠しが菊の花の意匠になっているのが特徴的。

 

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背面。

中備えが蟇股であるのは側面と同様ですが、こちらの蟇股ははらわたに三階菱の紋が見えます。

 

以上、諏訪社(橋倉)でした。

 

南方諏訪神社

所在地:〒390-0222長野県松本市入山辺610-1(地図)

 

南方諏訪神社(みなみがた すわ-)は市東部の入山辺地区に鎮座しています。

創建は案内板(松本市教育委員会)によると長禄年間(1457-1460)と伝えられているとのこと。小規模な神社ですが本殿は茅葺が維持されており、市指定文化財となっています。

 

境内

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南方諏訪社の境内は東向き。

鳥居は石造の明神鳥居で、扁額は「村社 諏訪社」。

鳥居扁額は“諏訪社”ですが、当記事では案内板に準じて“南方諏訪神社”とします。

 

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参道を進むと石垣の上に拝殿、幣殿、本殿が鎮座しています。

写真は拝殿で、切妻、桟瓦葺。扁額は「村社 諏訪社」。

 

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拝殿の後方には本殿が鎮座しています。拝殿・本殿をつなぐ切妻(妻入)の屋根は幣殿(祝詞殿)とのこと。

本殿は一間社流造、茅葺。

案内板によると、棟札より1752年(宝暦二年)の再建

 

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向拝柱は几帳面取りの角柱。

木鼻は正面が唐獅子、側面が獏。

木鼻の裏面には墨書があるらしく、それによると公儀彫物師の高松頼品の作で、1770年に付加されたとのこと。

ほか、水引虹梁の絵様も年代推定の根拠になっているとのことですが、幣殿が影になってよく見えず。

 

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向拝柱と母屋は湾曲した海老虹梁でつながれています。

向拝柱の上の手挟には繰型がついています。

母屋の正面は格子戸になっており、内部は前後に2等分し扉を立てて外陣・内陣としているようです。

 

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母屋柱は円柱。頭貫には拳鼻。中備えは蟇股。

組物は出組で、妻虹梁の下はおそらく牡丹。妻虹梁の上には大瓶束と豕扠首を組み合わせた妻飾り。

見切れてしまっていますが拝みには蕪懸魚。桁隠しは菊の花の意匠。

 

側面の意匠が前述の諏訪社(橋倉)と非常によく似ています。

なお、文化遺産オンラインでは同市里山辺の八坂神社との関連性について言及されています。

 

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背面。蟇股には三階菱。

蟇股の下の頭貫には渦状に唐草(若葉)が描かれており、ここは諏訪社(橋倉)と異なります。

 

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母屋柱の床下は、円柱の成形が手抜きされて八角柱になっています。

縁側は切目縁が3面にまわされ、背面側は脇障子でふさがれています。脇障子に彫刻の類はありません。

 

以上、南方諏訪神社でした。

(訪問日2020/10/21)

*1:山辺歴史研究会と入山辺公民館の設置