今回は長野県松本市中山(なかやま)の保福寺(ほうふくじ)について。
保福寺は市の南東部の山際に鎮座する臨済宗妙心寺派の寺院です。山号は金峯山。
創建は不明。境内には江戸期のものと思われる楼門と観音堂があり、両者とも見栄えのする立派な造りをしています。
なお、同市保福寺町にある曹洞宗の永安山保福寺とは別の寺院です。ご注意ください。
現地情報
所在地 | 〒390-0823長野県松本市中山3339(地図) |
アクセス | 塩尻北ICから車で20分 |
駐車場 | 5台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
寺務所 | あり(要予約) |
公式サイト | なし |
所要時間 | 15分程度 |
境内
参道
保福寺の境内は西向き。
入口には冠木門があり、門には諏訪梶と三階菱の紋が描かれています。
右手の寺号標は「臨済宗 保福寺」。
冒頭にも書いたように松本市内には保福寺(保福寺町)がありますが、そちらは曹洞宗で当寺とは別の寺院です。
「同市内に同名の神社がある」のはべつだん珍しくないですが、「同市内に同名の寺院がある」という例は初めて知ったので、少し驚きました。
鐘楼門
参道を進むと鐘楼門があります。
三間一戸の楼門、桁行3間・梁間2間、入母屋、銅板葺。
造営年は不明。おそらく江戸中期以降と思われます。
扁額は山号「金峯山」。ここから程近い場所にある牛伏寺と同じ山号です。
大棟の紋は三階菱。戦国期に当地を治めた小笠原氏の紋です。上層の母屋についている紋は左が三階菱、右が諏訪梶。
下層。
母屋柱は円柱で、上端をわずかに絞った粽になっています。
虹梁は唐草が彫られ、下部は繰型のついた持ち送りが添えられています。
虹梁と柱の上には台輪がまわされています。
通路の左右の柱間には仁王像を置けそうな空間がありますが、古そうな鬼板が置かれているだけでした。
台輪の上の中備えは蟇股。
組物は二手先。組物で桁を持ち出し、上層の縁側を受けています。
写真には写っていないですが、頭貫の木鼻は繰型のついた象鼻でした。
上層。
柱は円柱ですが、こちらは上端が絞られていません。
このアングルではほとんど見えないですが、中央の柱間は建具がなく、梵鐘と撞木(鐘つき棒)が吊るされています。
組物は和様の尾垂木と拳鼻がついている三手先。中備えは間斗束。桁下には軒支輪。
軒裏は二軒の平行繁垂木。
観音堂
鐘楼門の先には観音堂が鎮座しています。
桁行3間・梁間3間、入母屋、向拝1間、銅板葺。
造営年は不明。彫刻の内容から、おそらく江戸中期から後期のものではないでしょうか。
大棟の紋は三階菱です。
向拝柱は几帳面取り角柱。木鼻は正面が唐獅子、側面が獏。
虹梁には唐草が彫られ、中備えは鳳凰。その両脇には出三斗が置かれ、出三斗の手挟が軒先まで伸びているのが少し風変わりです。
向拝軒下を内側(階段)から見た図。
手挟が2つ並んでおり、外側(写真奥)のほうは菊と思しき花が籠彫されています。内側(写真手前)のほうは象鼻のような意匠になっており、やはり風変わりな意匠だと思います。
海老虹梁は緩やかにカーブした形状で、母屋側は象が彫刻された持ち送りが添えられています。
左側面(北面)。
正面の1間は吹き放ちの外陣。内陣・外陣は蔀で区切られています。前方が吹き放ちになっているのは、観音堂ではよくある造り。
軸部は貫と長押で固定され、後方の柱間は壁板が横方向に張られています。
台輪の上の中備えは蟇股。はらわたには植物や鳥獣が彫られています。
頭貫と台輪には禅宗様の木鼻。
組物は拳鼻と和様尾垂木の三手先。桁の上には波の彫刻があります。
縁側は切目縁が4面にまわされています。欄干は擬宝珠付き、床下は腰組で支えられています。
右側面(南面)の妻壁。
蟇股と出三斗の上に妻虹梁。妻虹梁の上では笈形付き大瓶束が棟を受けています。
破風板は拝みや桁隠しの懸魚がなく、非常にシンプル。
本堂
最後に本堂。鐘楼門の左手にあります。
入母屋(平入)、桟瓦葺。
境内は松本盆地を見下ろせる場所にあるため景色がよく、遠くには北アルプスを望めます。
以上、保福寺でした。
(訪問日2020/10/21)