今回は長野県大鹿村の福徳寺(ふくとくじ)について。
福徳寺は山間の集落に鎮座している天台宗の寺院です。山号は医王山。
創建は平安後期とされ、南北朝時代は天台宗の修験道場だったようです。伽藍については本堂だけが残っている状態ですが、本堂は室町前期の非常に古いもので、国重文に指定されています。
現地情報
所在地 | 〒399-3502長野県下伊那郡大鹿村大河原1888(地図) |
アクセス | 松川ICから車で40分 |
駐車場 | 5台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
寺務所 | なし |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
本堂
福徳寺の全景。ご覧のように、集落の農地の一角に本堂だけがぽつんと鎮座しています。
本堂は、桁行3間・梁間3間、入母屋(平入)、こけら葺。
室町初期の造営と考えられます*1。国指定重要文化財(国重文)。
仏像の台座に平治二年(1160年)と書かれていたことから、この本堂は「長野県最古の木造建築」とされていましたが、1953年の解体修理と調査で室町初期のものと推定されたようです。県内の寺社建築(木造建築)の中では、5本の指に入るくらいの古さです。
本尊は阿弥陀如来。内部には薬師如来、毘沙門天、観音菩薩も安置されているとのこと。
これらの仏像と本堂は、天保十年(1839年)に老中・水野忠邦が領国の浜松藩へ移設しようとしたものの、当村の住人らの猛反対を受けて断念となったようです。
正面の軒下。扁額は「醫王山福徳寺」。
柱はいずれも円柱。柱間には蔀(しとみ)が立てつけられています。
軸部は貫と長押で固定されています。木鼻は使われていません。
柱上に組物はありません。軒桁は、舟肘木を介して受けるか、あるいは柱に直接乗せられています。
軒裏は一重のまばら垂木。
全体的に装飾が少ないうえ、軒裏もまばらなので非常に質素であっさりした印象。
左側面。
正面側(写真右)に格子の戸がついているほかは、いずれも壁板が横方向に張られています。
背面。中央の柱間には引き戸が設けられています。
ほか、側面と大きな差異はありません。
縁側は切目縁が4面にまわされています。欄干はなし。床下は角柱の縁束でささえられており、縁束は面取りの角(C面)が大きく取られています。
屋根と破風。
破風板の拝みからは蕪懸魚が下がっています。入母屋破風には木連格子が張られています。装飾と言えるような部材があるのはここくらいでしょうか。
軒下が地味なら軒反りや屋根の曲面構成も地味で、案内板いわく“簡素ではありますが優美な姿からは中央の建築様式の風格が漂います”とのこと。
以上、福徳寺でした。
(訪問日2020/10/04)
*1:大鹿村教育委員会の案内板より