甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【北名古屋市】高田寺

今回は愛知県北名古屋市の高田寺(こうでんじ)について。

 

高田寺は北名古屋市街の住宅地に鎮座している天台宗の寺院です。山号は医王山。

創建は寺伝によれば720年(養老二年)で、行基によって開かれました。その後最澄が当寺を訪れ、寺号を高田寺と改めたとのこと。

現在の境内は大部分が現代のもので、過去の遺構は本堂だけとなっています。本堂は室町期の造営で国重文に指定。ほか、円空にゆかりのある寺で、円空仏をいくつか所蔵しているようです。

 

現地情報

所在地 〒481-0011愛知県北名古屋市高田屋敷383(地図)
アクセス 西春駅から徒歩30分
豊山南ICから車で5分
駐車場 5台(無料)
営業時間 随時
入場料 無料
寺務所 あり(要予約)
公式サイト なし
所要時間 15分程度

 

境内

鐘楼と手水舎

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高田寺の境内は南向き。住宅地の生活道路に面しています。

左右の門柱には「國寶 薬師如来」。ここでいう國寶(国宝)は戦前の法によるもので、現在の国重文に相当します。

右端の寺号標は「醫王山 高田寺」。醫は医の旧字です。

 

奥に見えるのは本堂(薬師堂)。

本堂の手前には仁王門があったようですが、慶安年間(1648~52)に起きた由井小雪の乱の残党によって焼失したとのこと。現在は礎石さえ残っていないため、どれだけの規模の門があったのか想像することすらできません。

 

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参道左手(西側)には手水舎。

入母屋、桟瓦葺。

 

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柱は円柱で、上端がすぼまった粽柱になっています。

頭貫と台輪には禅宗様木鼻がついていますが、頭貫のほうの木鼻はやや大仏様っぽい作風に見えます。

 

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本堂向かって左手には手水舎。

切妻、桟瓦葺。

 

本堂(薬師堂)

境内の中央には、風格のある本堂が鎮座しています。

本尊は薬師如来のため、別名を薬師堂といいます。本尊の木造薬師如来坐像は平安前期の作とされ、この本堂とは別件で国指定重要文化財(旧国宝)となっています。

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本堂(薬師堂)は桁行5間・梁間5間、入母屋、檜皮葺。

建築様式から、鎌倉末期か室町初期の建立と考えられているとのこと(北名古屋市教育委員会の案内板より)。

国指定重要文化財。本尊の薬師如来を納める厨子と、1685年および1727年の修理を記録した護摩札が、本堂の附(文化財の付属品)となっています。

改変(年代不明)によって「寄棟、茅葺」の屋根になっていたようですが、戦後の解体修理で当初の様式に復原されたものが現在の姿です。案内板いわく“形がきわめて荘重、雄麗、木割が重厚、堅実で、尾張平野第一の美建築”。

 

正面の軒先から突き出す庇(向拝)がなく、シンプルな屋根形状。母屋は5間四方となっています。堂内は外陣・内陣に区画分けされているとのこと(文化財ナビ愛知より)。

これは鎌倉期に成立するいわゆる密教本堂の典型。中部地方に現存する中世の密教本堂は数が少なく(私の知るところだと滝山寺大善寺くらい)、貴重な遺構といえます。

 

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母屋正面。

柱間は5間で、すべての柱間に桟唐戸が立てつけられています。桟唐戸は禅宗様の意匠。

中央の開いている扉の上に掲げられた扁額は山号「醫王山」。

 

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柱はいずれも円柱。上端は絞られていません。

組物は出三斗で、中備えは間斗束。

軒裏は平行の二軒繁垂木。繊細かつ重厚な軒裏だと思います。

 

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頭貫木鼻は拳鼻。

木鼻も禅宗様の意匠です。

密教本堂なので質素な和様をベースとしていますが、この本堂は禅宗様が部分的に採用されており、折衷様といえます。

 

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左側面(西面)。側面の柱間は5間あります。

前方(写真右)の1間は桟唐戸、中央の1間は引き戸。ほかは横板壁。

 

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反対側、右側面(東面)。本堂のすぐ隣を生活道路が通っているため、路上から撮影。

前方(写真左)の2間は桟唐戸、中央は引き戸。後方の2間は横板壁。

 

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破風板は、拝みと桁隠しに猪目懸魚が3つ下がっています。

入母屋破風の内部には虹梁と大瓶束。

大棟鬼板には鬼瓦が設けられています。

 

白山社

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本堂の西側には、境内社の白山社があります。

入口の鳥居は石造の神明鳥居。

 

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拝殿。切妻(妻入)、桟瓦葺。

正面の中備えには竜や波の彫刻。妻壁には笈形付き大瓶束。破風板の拝みには鰭付きの猪目懸魚。いずれも良い造形だと思います。

 

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柱は角柱。組物は出三斗。

唐獅子を彫った木鼻が設けられています。貫のない位置についているため、ただの装飾材であることがわかります。

 

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本殿は桁行3間・梁間1間、三間社流造、向拝3間、こけら葺。

県指定文化財。造営年については下記のとおり。

 社伝によると天文十四年(1545年)、室町時代の建立とされる。その後、寛永十五年(1638年)、延宝六年(1678年)、元禄二年(1689年)に修理の手が加えられたが、向拝柱、斗拱(原文ママ)等に当初の様式手法をよくとどめており、重要な建築物である。

北名古屋市教育委員会

 

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正面の向拝柱は、柱間が3つ。面取りの幅が大きく、先述の案内板にあるように室町風の工作です。

向拝柱は正面の階段の手前に立てられるのがふつうですが、この本殿は縁側の正面のふちに立てられています。風変わりな造り。

柱上の組物は出三斗。虹梁木鼻は拳鼻で、巻斗を介して組物を持ち送りしています。

 

母屋正面には板戸が3組。白山神社なのでククリヒメ、イザナキ、イザナミの3柱が祀られているのでしょう。

 

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側面。

向拝柱と母屋をつなぐ懸架材はありません。

母屋は側面1間。柱間は前後に区切られていて、前方は板戸、後方は横板壁。

縁側は切目縁が3面にまわされ、欄干は擬宝珠付き。後方には脇障子が立てられています。床下は角柱の縁束。

 

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母屋の柱上の組物は舟肘木。頭貫木鼻はありません。

妻壁の意匠は豕扠首。

いずれも純和様の古風な意匠です。

破風板の拝みには猪目懸魚。

 

以上、高田寺でした。

(訪問日2021/05/15)