今回は長野県中野市の霊閑寺(れいかんじ)と如法寺(にょほうじ)について。
霊閑寺
所在地:〒383-0024長野県中野市東山7-82(地図)
霊閑寺(れいかんじ)は中野市東部の山際に鎮座する臨済宗の寺院です。山号は円通山。
創建は鎌倉時代で、臨済宗妙心寺派の開祖である関山慧玄(かんざんえげん、別名は無相大師)が、父の高梨高家を弔うため開山したと言われています。室町後期に川中島の戦いの戦災で廃寺になりましたが、1938年(昭和13年)に復興しており、現在の伽藍は戦後に建てられたものです。
境内
霊閑寺の境内は西向き。
今回は霊閑寺の少し上にある日本土人形資料館のほうから歩いてきたため、入口や寺号標などは未確認。
写真は本堂で、この堂は南面しています。
本尊は観世音菩薩。
祖堂の軒下から。
境内は小高い丘の上にあって遮蔽物もないので、善光寺平や北信五岳を望むことができ、眺望は良好。
写真に写っている山は左端が飯綱山と黒姫山、中央が妙高山。北信地方(長野市など)を象徴する山々です。
境内の最奥部には祖堂が鎮座しています。
祖堂は銅板葺の宝形(ほうぎょう)。正面3間・側面3間、向拝1間。
1959年の造営で、設計は東京大学・藤島亥次郎教授、棟梁は名古屋の伊藤平左エ門氏とのこと(パンフレットより)。
開祖である無相大師が祀られています。
まずこの堂を見て驚くのは、向拝の軒先を支える柱(向拝柱)に円柱が使われていること。ふつう、この柱は角柱を使うのが寺社建築のセオリーです。
ここに円柱を使っている寺社は非常に少なく、私の知る範囲だと大宮熱田神社本殿(松本市)、窪八幡神社本殿(山梨市)、雲峰寺本堂(甲州市)くらいです。
向拝柱の木鼻(写真右)は、渦巻き状の繰型のついた拳鼻ですが、右上に角のように突き出た形状が個性的。
柱上の組物も独特で、大斗(だいと)の上に肘木がなく、実肘木(さねひじき)を直接のせて桁を受けています。
また、軒裏は板軒になっており、垂木は見えません。
向拝柱と母屋をつなぐ海老虹梁(えびこうりょう、写真左上)は、あまりカーブのついていない形状。禅宗様っぽい意匠です。
母屋もすべて円柱で構成されており、正面は3間。中央の間口には両開きの桟唐戸(さんからど)が設けられています。扉の上の扁額は「祖堂」。
左右の間口には釣り鐘の形をした火灯窓。壁板は横方向に張られ、軸部は貫で固定されています。
母屋柱は上端がわずかに丸くすぼまった形状。これは粽(ちまき)といいます。
母屋柱につけられた組物は、禅宗様のもの。頭貫だけでなく、台輪にも板状の木鼻がついています。
柱上の組物は出三斗(でみつど)。こちらは肘木が使われています。
側面は正面とほぼ同じ構成ですが、後方の1間には火灯窓がありません。
縁側は切目縁(きれめえん)が4面にまわされています。欄干はなく、床下は縁束で支えられています。
背面は窓も扉もなし。
母屋柱は、床下も手抜きせず円柱に成形されていました。
以上、霊閑寺でした。
如法寺
所在地:〒383-0013長野県中野市中野1154(地図)
如法寺(にょほうじ)は霊閑寺と隣接する真言宗の寺院です。山号は高峰山。
創建は、空海によって開山されたと伝えられています。開山から間もなく最盛期を迎え、室町期には高梨氏によって再興されますが、川中島の戦いで焼失したとのこと。現在の伽藍は江戸期に再建され、4代将軍・徳川家綱のころのもののようです。
境内
如法寺の境内は日本土人形資料館の裏手から、石畳の参道を登った先にあります。
参道を進むと、石垣から突き出た懸造(かけづくり)の観音堂(大悲閣)が現れます。
桟瓦葺の入母屋(妻入)。正面1間・側面5間・背面3間、右側面に向拝1間。
造営年は不明ですが、江戸中期から後期と思われます。
右側面。正面からは出入りできないため、向拝はこちらに設けられています。
母屋は前方(写真左)の2間が吹き放ちの外陣、後方の3間は壁と戸が立てつけられた内陣。
向拝の彫刻。
向拝柱の木鼻は全面が唐獅子、側面が象。写真中央、中備えの彫刻は竜。この辺りの彫刻は、かなり造形が良いので江戸後期あたりのものに見えます。
向拝柱は角柱が使われ、エッジは几帳面取りされています。
左側面。こちらは向拝や彫刻はありません。
母屋柱は円柱。頭貫の木鼻は象鼻。
柱上の組物は出組で、桁が一手先に持出しされています。
軒裏は二軒(ふたのき)の繁垂木。
外陣内部。
扁額の上には竜の彫刻。格天井には仏が描かれています。
縁側は切目縁が4面にまわされ、欄干は擬宝珠付き。縁の下は四手先の腰組で支えられています。
正面は石垣から突き出ていて、床下は八角柱の木組みで支えられています。
外陣や縁側からは霊閑寺の項で前述した北信五岳を望むことができます。しかし縁側は腰組で支えられているだけで真下に柱がないので、眺めが良いとはいえ縁側の先端まで踏み込むのはかなり勇気が要ります...
観音堂の手前には弘法堂という仏堂があります。鉄板葺の寄棟(妻入)。
向拝柱には挿肘木(さしひじき)の組物が使われており、木鼻は獅子とも牛ともつかない奇妙な造形。
左上に見切れている蟇股(かえるまた)は、内側に卍が透かし彫りにされています。
海老虹梁(写真右)も、なんとも言い難い半端な形状や曲がりかたをしていて奇妙に感じました。
以上、如法寺でした。
(訪問日2020/08/11)