今回は新潟県上越市の五十君神社(いきみ-)について。
五十君神社は上越市南東部の里山に鎮座しています。
頚城郡(くびきぐん)に13ある式内社の1つとされる式内論社で、案内板によると創建は奈良時代にさかのぼるとのこと。社殿については至って標準的な内容ですが、状態が良く細部意匠にも見どころがあります。
現地情報
所在地 | 〒943-0305新潟県上越市三和区所山田550(地図) |
アクセス | 浦川原ICまたは鶴町から車で15分 上越ICから車で20分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり(要予約) |
公式サイト | なし |
所要時間 | 15分程度 |
境内
参道と拝殿
五十君神社の参道は西向き。後述の社殿はいずれも南向きです。
鳥居は木製の両部鳥居ですが、柱はほとんど丸太に近い木材が使われています。前後の稚児柱は八角柱。扁額は「延喜式内 五十君神社」。
鳥居の先は狭い農道になっており、ここから200メートルくらい先に境内と社叢があります。
鳥居をくぐって農道を進むと、南北方向に伸びた境内が現れます。
社叢が茂っていて昼間でも薄暗く、いかにも神社らしい雰囲気。
境内を進むと拝殿が現れます。
拝殿は銅板葺の入母屋(平入)、向唐破風(むこう からはふ)の向拝1間。
向拝の軒下。
写真中央の蟇股(かえるまた)には窓のような枠の中に菊が彫られています。その上ではシンプルな大瓶束(たいへいづか)が唐破風の棟を受けています。
写真の上端で見切れている破風板の兎毛通(うのけどおし)にも波と菊の意匠が見えます。
向拝を支える柱は几帳面取りされた角柱で、柱上には舟肘木(ふなひじき)。
向拝の内部は格天井になっています。
扁額は「思無邪」(おもい よこしま なし)。論語の一節のようです。
母屋の柱は円柱で、正面の扉の上にある蟇股は菊が彫られています。
本殿
拝殿の裏には本殿が鎮座しています。
本殿は銅板葺の三間社流造(さんけんしゃ ながれづくり)。
造営年代は不明ですが、彫刻の作風から推察するに江戸後期以降のものでしょう。
五十君神社氏子中の案内板によると、祭神は五十日帯日子命(イカタラシヒコノミコト)。
向拝の軒下は板で塞がれており観察できません。
写真右の向拝柱は角柱、左の母屋柱は円柱。両者はゆるくカーブした海老虹梁(えびこうりょう)でつながれています。
海老虹梁にはマーブル模様のような波の中に菊が彫られており、繊細な印象を受けます。海老虹梁の向拝側の下部には、波の意匠が立体的に彫られた持ち送りが配置されており、こちらも非常に良い造形。
海老虹梁と持ち送りのアップ。
墨で線が書き込まれているわけではなく、彫りの深さによって陰影がつけられています。
妻壁の意匠も豪華。
柱上の組物は出三斗(でみつど)と平三斗(ひらみつど)で、梁の持出しこそありませんが、妻虹梁は二重になっています。
菊の意匠の蟇股や、笈形(おいがた)付き大瓶束などの装飾が見られます。
背面。
柱上には拳鼻のついた組物があり、組物のあいだにはシンプルな蟇股。
背面・側面ともに壁面にこれといった意匠はなく、水平方向に壁板が張られているだけ。
縁側は切目縁(きれめえん:壁面と直交に床板を張った縁側)で、背面にはまわされておらず、欄干もありません。床下は縁束で支えられていました。
背面の柱を見ると、床上は円柱ですが床下はほとんど面取りしていない角柱です。
以上、五十君神社でした。
(訪問日2020/04/30)