今回は長野県小布施町の浄光寺(じょうこうじ)について。
浄光寺は小布施町の東部の山際に鎮座している真言宗の寺院です。山号は浄瑠璃山。別名は雁田薬師、妻恋薬師。
寺伝によると聖武天皇の時代に開かれ、坂上田村麻呂の東征の折に建立されたとのこと。境内は山の斜面にあり、最奥部にある薬師堂は室町時代のもので国重文に指定されています。
現地情報
所在地 | 〒381-0211長野県上高井郡小布施町雁田676(地図) |
アクセス | 小布施駅から徒歩30分 須坂長野東ICまたは信州中野ICから車で20分 |
駐車場 | 10台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
寺務所 | あり(要予約) |
公式サイト | なし |
所要時間 | 20分程度 |
境内
参道
浄光寺の境内は西向き。
入口の山門(仁王門)は桟瓦葺の切妻で、三間一戸の八脚門。柱は角柱。
山門の左手に本堂があるのですが、あまり凝った造りではなかったからか写真を撮り忘れていました...
山門の右手にはスラックラインなるスポーツの練習場。ゴム製の帯の上で飛び跳ねる競技らしいです。
初心者用の低い帯もあり、自由に遊んでいいようですが、この日は訪問した時点(10:00くらい)ですでに30度近い暑さになっており、とても試す気にはなれず。
山門から薬師堂への道は、杉並木が立つ石段になっています。古い石段だからなのか、段が不揃いで少々登りにくいです。
山門から薬師堂へは、ゆっくり登っても5分足らずの道のり。
薬師堂
薬師堂は茅葺の入母屋(平入)。正面3間・側面4間。柱は円柱。
造営年は1408年(応永15年)であることが墨書よりわかっています。国指定重要文化財(国重文)。
1946・1947年に大規模な解体修理が行われ、ここで発見された墨書によって造営年が判ったとのこと。現在の屋根は2007年に葺き替えられたものです。
中央の扉が開いているせいで解りづらいですが、正面は柱と柱の間が3つ。よって正面(桁行、間口)3間。
いずれの柱間も両開きの桟唐戸(さんからど)が立てつけられています。
内部には薬師如来坐像が安置されており、格子の隙間からのぞき込むことができます。古くからがん封じの薬師として信仰が篤いとのこと。
母屋柱は上端がわずかに丸くすぼまった粽(ちまき)。
柱と柱は頭貫でつながれ、その上には台輪がわたされています。柱上の組物は出三斗(でみつど)というタイプのもの。
台輪の上、写真中央には蟇股(かえるまた)が配置されています。蟇股の内部の彫刻は題材がよくわかりませんが、室町期のものなので平面的な造形。案内板(浄光寺の設置)いわく“天下屈指の最優秀作”だそうですが、自賛と誇張がすぎると思います...
このほかの台輪の柱間は、いずれも蟇股ではなく間斗束が立てられています。
木鼻は、頭貫だけでなく台輪にも設けられた、禅宗様の木鼻です。
頭貫の木鼻には渦巻き状の繰型(くりがた)がついていますが、塗料が退色してしまっています。よく見ると、繰型の渦は2巻きほど巻いているのがわかり、案内板いわく巻き数が多い点が見どころとのこと。
軒裏は、一重の繁垂木となっています。
右側面。こちらは柱と柱の間が4つあり、側面(梁間、奥行)4間。
いずれの柱間も扉はなく、壁板が縦方向に立てつけられています。
桟唐戸、粽、縦板壁は禅宗様の意匠で、この薬師堂は禅宗様を部分的に取り入れた折衷様の仏堂といえます。
背面。側面とほぼ同じ造り。
縁側は壁面と直交に板を張った切目縁(きれめえん)。欄干はなく、縁の下は縁束で支えられています。
母屋柱の床下は、八角形に成形されていました。
右側面から見た全体図。
小布施はそれなりに雪の積もる土地ですが、軒の出が非常に深いです。
入母屋破風の内部は縦方向に板が張られ、破風板の拝みからは懸魚(げぎょ)が下がっています。
「桁行3間、梁間4間、入母屋」の建築様式は法住寺虚空蔵堂(上田市)と完全に一致しており時代もほぼ同じです。しかしそうとは思えないくらいに両者は雰囲気がちがっていて、浄光寺薬師堂は気取ったところのない朴訥とした雰囲気だと思います。
以上、浄光寺でした。
(訪問日2020/08/11)