甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【甲府市】住吉神社

今回は山梨県甲府市の住吉神社(すみよし-)について。

 

住吉神社は甲府駅南側の市街地に鎮座しています。

創建は社伝によると聖武天皇の時代で、当初は川の対岸の高畑地区に鎮座していたようです。平安時代末期には武田信義によって一条小山(のちの甲府城)に遷座され、以降、武田氏の崇敬を受けました。安土桃山時代には浅野長政が甲府に封じられ、甲府城の整備にともなって、当社は文禄年間(1592-1596)に現在地へ移転しました。江戸時代は、元和年間(1614-1625)の水害で社殿を喪失しましたが、1668年(寛文八年)に現在の主要な社殿が再建されています。

現在の境内は江戸前期以降のもので、楼門や本殿などが立ち並びます。とくに本殿は大型の入母屋造となっており、市の文化財に指定されています。

 

現地情報

所在地 〒400-0851山梨県甲府市住吉1-13-10(地図)
アクセス 甲斐住吉駅から徒歩15分
甲府昭和ICから車で15分
駐車場 20台(無料)
営業時間 随時
入場料 無料
社務所 あり
公式サイト 甲斐国住吉神社
所要時間 15分程度

 

境内

随神門

住吉神社の境内は南向き。正面の入口は県道113号線に面しています。

入口には一の鳥居。石造明神鳥居で、扁額は「正一位住吉神社」。

 

一の鳥居の先には、二の鳥居があります。

こちらも石造明神鳥居。扁額は「正一位住吉社」で、一の鳥居とは微妙に表記が異なります。

 

鳥居の先には楼門(随神門)。

三間一戸、楼門、入母屋、銅板葺。

 

下層正面。

3間のうち中央の1間が通路となった三間一戸の門です。しかし、正面側は長い梁がわたされ、中間の柱を省略して広い1間としています。このような構造の門は甲府盆地周辺でよく見られ、当社の近くにある穴切大神社も同様の構造をしています。

 

正面の虹梁の中備え。

中央には蟇股。その左右の、本来なら柱がある位置には組物が置かれています。

 

左前方の隅の柱。

柱は円柱が使われ、正面には拳鼻、側面には唐獅子の彫刻がついています。

柱上の組物は三手先。

 

左側面(西面)。

側面は2間で、前方(写真右)は吹き放ち、後方は板壁。

柱間は貫でつながれています。

 

内部の様子。

写真右が前面の虹梁で、左が通路部の主柱です。

虹梁と主柱のあいだには、海老虹梁がわたされています。

主柱の真上には組物がなく、上層まで伸びているようです。

 

内部の通路上にわたされた貫の上の蟇股。

竜の彫刻が入っています。

 

上層。扁額は「正一位住吉社」。

上層も正面3間で、柱間は横板壁となっています。

軒裏は二軒繁垂木。垂木を放射状に配置した扇垂木で、寺院風の造りです。

 

上層も柱は円柱。軸部は長押と貫で固められ、頭貫には木鼻があります。

柱上の組物は出組。中備えは蟇股で、菊や唐獅子が彫られています。

 

上層左側面。

こちらも横板壁で、中備えに蟇股があります。

 

背面。

柱間は、上層も下層も板壁です。

下層の中備えは中央のみ板状の蟇股があります。

 

上層の中備えは、背面も彫刻入りの蟇股が置かれています。こちらは中央の中備えで、題材は鶴。

蟇股と軒桁のあいだの支輪板には、格狭間をアレンジしたような雲状曲線の彫刻があります。

 

拝殿周辺

楼門向かって左手前には手水舎。

切妻、銅板葺。

 

柱は面取り角柱で、柱上に斗のような部材を置いて桁や梁を受けています。

頭貫には繰型のついた木鼻。

妻虹梁の上には小さい板蟇股が使われています。

 

楼門の右後方には天神稲荷社が西面しています。祭神は菅原道真とウカノミタマ。

一間社流造、鉄板葺。

 

向拝柱は石造で、側面に見返り唐獅子がついています。柱上は出三斗。

虹梁中備えは竜で、中備えの空間いっぱいに立体的な造形で造られています。

 

母屋柱は円柱。頭貫に木鼻がつき、柱上は出三斗。台輪の上の中備えは蟇股。

妻虹梁の上には円い束が立てられ、破風板の拝みには蕪懸魚らしきものが下がっています。

 

楼門の先には拝殿があります。

入母屋、正面千鳥破風付、銅板葺。

 

本殿

拝殿の後方には、塀に囲われた本殿が鎮座しています。祭神は住吉三神と神功皇后。

桁行正面3間・背面4間・梁間2間、三間社入母屋?、向拝1間、瓦棒銅板葺。

1668年(寛文八年)造営。市指定有形文化財。

 

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(※甲斐国住吉神社 境内のご案内より引用)

公式サイトの本殿の解説にはこのような写真があり、正面に4組の扉が設けられているのが確認できます。そのため正面4間の四間社(よんけんしゃ)というめずらしい形式かと思ったのですが、二の鳥居の近くにある案内板*1には“正面三間・背面四間”とあり、この記述を信じるなら四間社ではなく三間社という標準的な形式のようです。

 

向拝部分(写真右)は板でふさがれています。

縋破風がついていますが、桁隠しなどの懸魚はありません。

 

母屋部分。

側面は2間で、柱間は横板壁。前方には引き戸が設けられています。

母屋柱は円柱で、軸部は長押と頭貫で固定され、頭貫には拳鼻がついています。

柱上の組物は出組。中備えは蟇股。

 

背面は4間。

柱間はいずれも横板壁で、中備えは蟇股です。

軒裏は平行の二軒繁垂木。

 

背面向かって右端の隅の蟇股と木鼻。

蟇股には彫刻があり、この蟇股は紅葉に猪が彫られています。

 

右側面の破風。

破風には木連格子が張られ、拝みに蕪懸魚が下がっています。

 

境内の西側には多数の境内社をまとめた「七社」という社殿が東面しています。

向かって左から、天神人麻呂社、稲荷社、香取社、神明社、鹿島社、八幡社、玉津島社。

 

以上、住吉神社でした。

(訪問日2019/11/09,2024/03/16)

*1:設置者不明