今回は山梨県のマイナー観光地ということで、柴宮神社(しばみや-)について。
柴宮神社は甲府市街の東部、甲斐善光寺の門前に鎮座しています。
小学校の一角を切り取ったような場所に境内があり、本殿は標準的な造りの入母屋であるものの比較的大きめな三間社となっています。
現地情報
所在地 | 〒400-0806山梨県甲府市善光寺2-8-20(地図) |
アクセス |
身延線 善光寺駅から徒歩5分 中央本線 酒折駅から徒歩10分 甲府昭和ICまたは甲府南ICから車で20分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | なし |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
参道
柴宮神社の境内は南向きで、入口には赤い両部鳥居が立っています。鳥居は、前後の柱に屋根が付いたタイプ。扁額の字は「柴宮神社」
参道を進むと二の鳥居と小さな門があります。
石で作られた扁額に書かれた字はかなり崩した字体で、判読できず。私は浅学ゆえ、草書や変体仮名が出てきただけでお手上げです...
参道の左手には水の出ていない手水舎と、銅板葺の入母屋の神楽殿があります。
神楽殿は千鳥破風がついており、四方すべてが吹き放ち。この近くにある玉諸神社の神楽殿とよく似ています。
しかし、うかつなことに背面の確認を忘れました... なので棟がT字なのか十字なのかは不明です。
拝殿は桟瓦葺の入母屋(平入)。よく観察したかったのですが、補修工事のため遠目に見ることしかできず。
工事が終わったころを見計らって再訪し、前述の神楽殿の確認をしたうえで加筆修正したいと思います。いつになるかは未定。
本殿
拝殿の裏手にまわると、塀に囲われた本殿があります。幸いにもこちらは工事中ではありませんでした。
本殿は鉄板葺の三間社入母屋(さんけんしゃ いりもや)、平入、正面に向拝1間。母屋は正面3間・側面2間という平面構成。
境内には案内板がなく、年代は不明。後述しますが異様に質素で古風な造りをしているので、私の素人予想だと江戸後期から明治以降のものかと思います。
本殿正面の下部。
向拝の角柱は通常の面取り。その下に張られた浜床は、老朽化のためか崩れかけています。
浜床および縁側は、壁面と直交に板を張った切目縁(きれめえん)。
母屋の正面側は、格子状の蔀(しとみ)が張られています。
左側面。
入母屋なので、屋根裏の垂木は前後左右の四方に伸びています。当然のことながら、垂木は二重。
側面2間のうち前方の1間にはふすまの戸がついています。後方の1間は壁板が横方向に張られています。
有刺鉄線がちょっと邪魔ですが、母屋柱と向拝柱をつなぐ梁は直線状のもの。
屋根の破風。
破風板からは懸魚が垂れており、三角形の奥まった妻壁には束ではなく蟇股(かえるまた)が置かれています。
背面。こちらにも縁側がまわされていました。
母屋の背面は4本の円柱で構成されており、間口は3つ。中央の間口だけが若干広くなっています。
母屋の柱は「床上は円柱だが床下は八角柱」という定番の手抜きがなされており、こういった手抜きは江戸期以降の本殿で見られます。
円柱の上に組物はなく、舟肘木(ふなひじき)という半円状の部材が乗っているだけ。前述の向拝を見ても組物は見当たらず、組物を意識的に使わないようにしているように感じます。
古式の神社本殿(甲信だと仁科神明宮が好例)は組物も彫刻も使わないので、復古調のデザインとして組物を避けたのかもしれません。こういった復古の動きは、江戸後期以降の造営で見られます。
壁板や垂木など全ての木材が黒ずんでいますが、これはおそらく海外産(台湾など)の木材を使っているからでしょう。国産のヒノキ材は、経年劣化だけではここまで黒くなりません。
また、壁板を観察すると節が一切ないのも気になります。明治期の神社本殿は無節の台湾産ヒノキ材が好んで使われたという歴史がある*1ので、私の予想だとこの本殿は江戸後期から明治期のものではないかと思います。
社殿の解説は以上。
鑑賞というよりは年代の推測がメインとなりましたが、案内板もないようなマイナーな神社にはこういった楽しみ方もあるのだということを理解いただければ幸いです。
この本殿に一見の価値があるかどうかは率直に言って微妙ですが、地域の文化財であることは間違いないので大切に保存していって貰いたいです。
以上、柴宮神社でした。
(訪問日2019/11/02)
*1:三浦正幸『神社の本殿』p231より