今回は山梨県甲府市の穴切大神社(あなぎり だい-)について。
穴切大神社は甲府駅の南側の住宅地に鎮座しています。
創建は不明。伝説によると古代の甲府盆地は湖で、大国主が湖の南西を開削したことで湖水が流出し、盆地となった場所に蹴裂明神を祀ったのが当社のはじまりらしいです。『甲斐国社記・寺記』(1868年成立)によるとかつては黒戸奈神社と称したようで、平安時代の延喜式にも「黒戸奈神社」の記載がありますが、同市黒平にも同名の神社があり、式内論社にとどまっています。詳細な創建や沿革は不明ですが、現在の本殿は桃山時代のものと考えられ、遅くともこの頃には確立されていたと思われます。史料上の初出は1603年(慶長八年)の黒印状で、江戸時代を通して甲府藩の崇敬を受けました。昭和期には1945年の空襲で周辺の市街地が被害を受けましたが、当社は被災を免れています。
現在の境内は桃山時代から近現代にかけてのものです。本殿は武田氏の時代に造られたものとされ、国の重要文化財に指定されています。随神門は江戸後期に下山大工と立川流の初代和四郎によって造られたもので、市の文化財となっています。
現地情報
| 所在地 | 〒400-0034山梨県甲府市宝2-8-5(地図) |
| アクセス | 甲府駅から徒歩15分 甲府昭和ICから車で10分 |
| 駐車場 | 10台(無料) |
| 営業時間 | 08:30-17:00 |
| 入場料 | 無料 |
| 社務所 | あり(要予約) |
| 公式サイト | 穴切大神社 |
| 所要時間 | 15分程度 |
境内
随神門

穴切大神社の境内は東向き。入口は住宅地の生活道路に面し、周辺にはマンションが立っています。
右の社号標は「郷社 穴切大神社」。
入口には石造明神鳥居。扁額は「穴切大神社」。

境内に入ると随神門があります。
三間一戸、楼門、入母屋、銅板葺。
1794年(寛政六年)造営*1。
棟梁は下山大工の竹下源蔵。彫刻は立川和四郎富棟の作。立川和四郎(初代)は諏訪大社下社秋宮(長野県下諏訪町)を造営した工匠です。
市指定有形文化財*2

下層。
正面の柱間は1間で、壁や建具のない広々とした空間になっていますが、後方は3間のうち中央1間が通路となっています(三間一戸)。
このような構造の門は、甲府盆地周辺でよく見られます。

正面の虹梁。
正面は1間のため、柱間に長い虹梁がわたされています。
虹梁には渦状の絵様が彫られています。中備えの組物は二手先で、上層の縁側の板を受けています。

正面向かって左手(南東)の柱。
柱はいずれも円柱。
正面側の柱は、正面に唐獅子、側面に牡丹の籠彫りがついています。
柱上の組物は二手先。

内部。写真右が正面側です。
主柱(写真左の柱)からは、前後方向と斜め方向に太い梁がわたされています。

内部の通路部分の柱間。
主柱の前方には、唐獅子の木鼻があります。
主柱のあいだには虹梁がわたされ、中備えには波の彫刻。

内部向かって左の柱間。
頭貫の上には、松に鷹の彫刻が入っています。


左側面。
側面は2間で、後方は横板壁が張られています。
後方の柱間の中備えには、波の彫刻。頭貫には雲状の木鼻がついています。

背面。左右の柱間は横板壁。
中央の通路部分には虹梁がかかっていますが、中備えはありません。左右の柱間の頭貫の上には、雲状の彫刻が入っています。

つづいて上層。こちらは正面も3間です。
柱間は中央が広く取られ、柱間の建具は舞良戸。
軒裏は平行の二軒繁垂木。

中央の柱間。
頭貫の上には波の彫刻があります。
柱上の組物は三手先。
桁下の支輪板にも彫刻があり、波や貝が彫られています。

向かって左の柱間。
上層も円柱が使われ、正面は唐獅子、側面は獏の木鼻があります。
隅の柱の上の組物は、斜め方向に波や竜の彫刻がついています。


(穴切大神社楼門 上層右側面の柱の木鼻)

(諏訪大社下社秋宮幣拝殿 下層右手前の柱の木鼻)
下社秋宮の彫刻との比較。左は唐獅子、右は象です。
どちらも立川和四郎(初代)の作のため、造形がよく似ています。下社秋宮は1781年の作で、当社の楼門はそれから13年後に造られたものです。

右側面(北面)。
上層側面の柱間は横板壁。
中備えや軒下の意匠は正面と同様。

背面。
側面と同様に、柱間は横板壁です。
中備えの意匠はありません。
縁側の欄干は擬宝珠付き。

破風板の拝みには、鰭付きの蕪懸魚。鰭は雲の意匠です。
暗くてほとんど見えませんが、妻飾りは虹梁と大瓶束が使われています。
神楽殿と拝殿

随神門をくぐると、右手に神楽殿が南面しています。
向唐破風、銅板葺。
造営年不明。随神門(1794年)より少し古いものらしく、屋根の両端は後年の改造とのこと。

縁側には欄干が立てられ、内部は小組格天井が張られています。

柱は角柱。
軸部は長押と貫で固定され、柱上に台輪が通っています。長押の釘隠しは武田菱の紋。頭貫と台輪には禅宗様木鼻。
柱上の組物は出組で、通肘木が使われています。

正面の妻面。
妻虹梁の上には、笈形付き大瓶束があります。
破風板の拝みには若葉のような意匠の懸魚が下がっています。

神楽殿の右側には手水舎。
切妻、銅板葺。

随神門の先には拝殿があります。
RC造、入母屋、正面軒唐破風付、銅板葺。
戦後の再建と思われます。以前の拝殿は1715年造営のもので、韮崎市の藤武神社(新府城跡)へ移築されたらしいですが、それが現在の藤武神社拝殿と同一のものかどうかは不明。

母屋柱は面取り角柱が使われ、柱上は舟肘木。
拝所には鈴が吊るされ、唐破風の小壁の部分には蟇股が配されています。

右側面。
妻飾りには豕扠首が使われ、破風板には切懸魚が下がっています。
本殿

拝殿の後方には、塀に囲われた本殿が鎮座しています。祭神は大国主、スクナビコナ、スサノオの3柱。
一間社流造、檜皮葺。
造営年不明。細部の意匠から安土桃山時代の造営と推定され、武田氏によって造営された他社の本殿*3との類似性が指摘されています。1687年と1765年の改修の記録が棟札として残されており、現在の本殿の大部分は改修時のものと思われます。
国指定重要文化財*4。

向拝は1間。
2023年の修復工事で、檜皮の葺き替えと漆の塗りなおしが行われたため、色鮮やかで美麗な外観が保たれています。
柱や梁などの軸部は黒漆塗り、組物や木鼻などの装飾は桃山風の極彩色に塗り分けられています。

虹梁中備えは蟇股。
波や笹と思しき彫刻が入り、彩色されています。
蟇股の上には巻斗が乗り、通肘木を介して軒桁を受けています。

向かって左の向拝柱。
向拝柱は面取り角柱。面取りの幅が大きく、桃山時代の造営だという推定もうなずけます。
組物は連三斗。柱の側面には、獣の頭部のようなシルエットの木鼻が出ていて、頭上に乗った巻斗で組物を持ち送りしています。

向かって右の向拝柱と手挟。
手挟は板状の平板な造形。白い面には松が描かれ、猪目(ハート形)のくぼみがついています。
手前(写真上)の桁隠しは蕪懸魚。

向拝の下には、角材で構成された階段が7段。階段や縁側の欄干は擬宝珠付き。
階段の下には浜床が張られています。

母屋の右側面(北面)。
母屋柱は円柱で、軸部は長押と貫で固定されています。頭貫には彩色された拳鼻があります。
母屋の組物は出組。実肘木はなく、妻虹梁の袖切の部分を直接受けています。
頭貫の上の中備えは蟇股。彫刻が入っていますが、黒一色で題材がよく分からず。
妻飾りは、妻虹梁と豕扠首。妻虹梁は渦状の絵様の跡が見えます。
黒い破風板の拝みと桁隠しには、黒い蕪懸魚が下がっています。
軒裏は二軒繁垂木。向拝側(写真左)は黒漆塗りですが、母屋側と後方は丹塗りとなっています。

背面。
こちら側の木鼻や組物は、極彩色ではありません。また、背面は頭貫に中備えがありません。

大棟は箱棟になっており、鬼板や箱棟正面に武田菱の紋があります。
境内社

本殿向かって右側(境内北西)の区画には、境内社が点在しています。

こちらは本殿のすぐ隣にある2棟。両者とも東向きです。
左の石祠は稲荷社。
右は鹽竈神社(塩釜社)。一間社流造、銅板葺。見世棚造。

塩釜社の右側にある2棟。
左は道祖神、右は妙義社。

道祖神の社殿は、一間社流造、向拝1間 軒唐破風付、こけら葺。
虹梁には豪快な竜の彫刻が使われ、棟には武田菱があります。

向拝の組物は連三斗ですが、連三斗の長手方向を前後方向に使っています(ふつうは左右方向に使う)。
手挟は菊の籠彫り。繊細な造形です。

母屋正面の扉の左右にも彫刻が入っています。
こちらも立体的で精緻な造形です。

背面の床下。甲府盆地近辺でよく祀られる丸石神らしきものが置かれています。

稲荷社は、一間社流造、鉄板葺。
向拝の木鼻や、母屋正面と脇障子の羽目板に彫刻があります。

神楽殿の左側には、神明社が南面しています。

一間社神明造?、銅板葺。
側面2間のうち1間通りを向拝としており、神明造と流造の中間的な構造です。
屋根は直線的な切妻で、千木と鰹木、棟覆板といった神明造の意匠が使われています。
以上、穴切大神社でした。
(訪問日2019/11/09,2024/04/06)