今回は長野県塩尻市の小野神社(おの-)について。
小野神社は塩尻市の国道153号線(遠州街道)沿いに、矢彦神社とともに並んで鎮座しています。
式内社ではないものの信濃国二宮であり、諏訪大社の系統に属します。社殿は、諏訪大社風の拝殿・片拝殿と、長野県宝に指定されている江戸初期の本殿を拝むことができます。
現地情報
所在地 | 〒399-0651長野県塩尻市大字北小野175-1(地図) |
アクセス | 小野駅から徒歩15分 塩尻ICから車で15分 |
駐車場 | 10台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり(要予約) |
公式サイト | なし |
所要時間 | 15分程度 |
境内
参道
小野神社の境内入口。境内は東向き。
左手には鉄板葺の手水舎。鳥居は石製で、扁額は「小野神社」。
参道の左手には資料館があり、神仏習合の時代に小野神社・矢彦神社で本地仏とされていた千手観音像がおさめられているとのこと。
資料館は例大祭(10月第1日曜日)のときのみ開いており、平時の見学は塩尻市の公式サイトなどからの予約が要ります。
参道に戻って先へ進むと、参道の右手に神楽殿があります。
神楽殿は鉄板葺の切妻(妻入)で、正面3間・側面2間。柱は角柱。
信濃国二宮のだけあって、この地域の神楽殿にしては規模がやや大きめです。
拝殿と片拝殿
そしてこちらが拝殿。中央が拝殿、その左右は片拝殿(かたはいでん)といった構成。
諏訪大社と同じ社殿構成をしており、こういった構成の社殿を諏訪造(すわづくり)と呼びます。諏訪大社の周辺でしか見られない、この地域に特有の建築様式です。
中央の拝殿は銅板葺の切妻(平入)。
屋根に千木と鰹木がのっており、鞭懸(むちかけ:破風板から突き出る4本の棒のこと)もついています。いずれも神明造(しんめいづくり)っぽい意匠ですが、正面に妻入の向拝を伸ばしており、どうみても神明造ではない奇妙な造りとなっています。
正面の向拝の柱は角柱、ほかの柱は円柱でした。
左の片拝殿。
正面3間・側面1間で、正面にだけ縁側がついています。柱はいずれも円柱。
こちらも千木・鰹木と鞭懸があり、神明造風の造り。なお、諏訪大社(本宮・秋宮・春宮)の幣拝殿および片拝殿には千木・鰹木も鞭懸もついていません。
別アングル。
拝殿の向拝が正面側に大きく突き出ている独特のシルエット。
拝殿と左右片拝殿は屋根こそ別ですが、床や欄干はつながって一体化しています。
勅使殿と本殿3棟
拝殿の裏手にまわると、勅使殿(右手前)と本殿3棟(左奥)を塀越しに見られます。いずれも長野県宝。
木の影になってしまいましたが、勅使殿は銅板葺の切妻(ひらいり)で、正面1間・側面2間のいわゆる四脚門(よつあしもん)。柱はいずれも円柱でした。
その奥の本殿は、いちばん左の覆いがかかっていて工事中なのが副本殿、中央が小野神社本殿、その右が八幡宮。
小野神社本殿の祭神はタケミナカタ。境内にはもちろん御柱もあります。本殿は良く見ると正面に2つの扉がついているので、妻の八坂刀女もあわせて祀られているのでしょう。
3つの本殿はいずれも銅板葺の一間社流造(いっけんしゃ ながれづくり)。
案内板*1によると、江戸初期の1672年(寛文十二年)に松本藩の大工頭・中村四郎右衛門によって造られたものとのこと。当時の松本藩主・水野忠直による造営なので本殿の蟇股(かえるまた)には水野家の紋であるオモダカ(沢瀉)が彫られているようです。
なお、前述の拝殿にかけられた垂れ幕も、オモダカの紋が描かれています。
3棟の本殿の背面。左から八幡宮、小野神社本殿、副本殿。右端の柱は御柱。
今回は工事中に訪問してしまい、宮大工の方々の仕事を邪魔してまで撮影するような度胸はなかったので、上の写真は工事前(2017/03/24)に訪問したときのものになります。
3棟とも縁側のない見世棚造(みせだなづくり)で彫刻もほとんどないのは共通しています。ですが、本殿と副本殿の柱は円柱であるのに対し、左端の八幡宮は柱が角柱になっていて、八幡宮のほうが格下の造りをしています。
ちなみに、写真ではほんの一部しか見えないですが、本殿と副本殿の母屋の柱は「床上は円柱だが床下は八角柱」という定番の手抜きがなされていました。
本殿だけでなく副本殿もあるのは御柱祭(6年に1回)のときに遷座するためのようです。今現在、どちらの本殿に神が祀られているのかは不明。
以上、小野神社でした。
(訪問日2019/12/21)
*1:長野県教育委員会と塩尻市教育委員会による設置