今回は三重県亀山市の地蔵院(じぞういん)について。
地蔵院は市西部の宿場町に鎮座する真言宗御室派の寺院です。寺号は法蔵寺(ほうぞうじ)、山号は九関山。通称は関地蔵院(せき じぞういん)。
創建は寺伝によれば741年(天平十三年)、行基によって開かれ、桓武天皇の勅願所となったとのこと。806年には最澄の弟子によって久冠山法蔵寺という山号と寺号になったようです。
現在の境内伽藍は江戸初期から中期に造られたもので、本堂などの3棟が国重文に指定されています。また、周辺は東海道の宿場町・関宿として景観が保存され、往時の面影を色濃く残しています。
現地情報
所在地 | 〒519-1111三重県亀山市関町新所1137-2(地図) |
アクセス | 関駅から徒歩10分 亀山ICから車で10分 |
駐車場 | なし(※関宿観光駐車場に16台、無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料(※堂内拝観は要予約、500円) |
寺務所 | あり(要予約) |
公式サイト | 関地蔵院 |
所要時間 | 10分程度 |
境内
本堂(地蔵堂)
地蔵院の全景。
境内は関宿の一角に鎮座。宿場町のメインストリートがL字型に屈曲し、その角の外側に地蔵院があります。通りと境内を隔てる門などはなく、開放的な雰囲気。境内は南向きです。
訪問時は境内が蚤の市の会場になっていて雑然としていましたが、境内そのものは小ぎれいに整備されていると思います。
本堂は桁行5間・梁間4間、寄棟、向拝1間、本瓦葺。
1700年(元禄十三年)再建。後述の愛染堂、鐘楼とあわせて3棟で国指定重要文化財。
本尊は地蔵菩薩。
向拝は1間。
母屋は前方の1間が壁のない外陣となっていて、江戸期らしい構造。
外陣は靴を脱いであがることができます。内陣(堂内)の拝観については要予約で、内陣の天井には江戸中期の狩野派の天井画があるとのこと。訪問時は堂内で祈祷が行われていました。
向拝虹梁の中備えには、蟇股が2つ置かれています。
はらわたの彫刻の題材は、左が唐獅子、右が竜。
蟇股と軒桁のあいだの実肘木は、断面が白く塗り分けられています。
向拝柱は几帳面取りの角柱。
柱上の組物は連三斗。
側面の木鼻は獏。
このあたりはいかにも江戸中期といった感じの作風。
向拝の軒裏には手挟。牡丹が籠彫りされています。
縋破風の桁隠しには、菊花が彫られています。
母屋は正面5間。
中央に掲げられた扁額は「地蔵堂」。蔵の字が達筆すぎて私には判読できません...
母屋柱はいずれも円柱。上端は絞られていません。
頭貫木鼻は、象鼻と拳鼻の中間的なもの。
柱上の組物は出組。持ち出された桁の下には軒支輪。
外陣内部。
柱間の欄間には、説話を題材にしたらしい彫刻がはめ込まれています。
頭貫の上の中備えは蓑束。
外陣の天井は鏡天井。
向かって右の側面(東面)。側面は4間。
縁側は切目縁が3面にまわされ、欄干はありません。
軒裏は二軒繁垂木。
背面は後補と思しき間が付け足されています。
側面は下見板としっくい壁、背面はすべて下見板。
屋根。様式は寄棟。
屋根瓦が中間で途切れ、2段の構成になった錣(しころ)屋根。
愛染堂
本堂の左手(西)には愛染堂。
桁行3間・梁間3間、寄棟、向拝1間、本瓦葺。
1630年(寛永七年)造営。本堂などとあわせて国重文。
向拝の虹梁の中備えは蟇股。はらわたの彫刻は、牡丹とも蓮ともつかない花。
向拝柱は角柱。小さく角面取りされています。
柱上の組物は連三斗。
柱の側面には象鼻が設けられ、巻斗を介して組物を受けています。
向拝柱と母屋柱はまっすぐな梁でつながれ、梁の母屋側は下部を斗栱で持ち送りしています。
母屋柱は円柱。柱上の組物は舟肘木で、ここだけ異様に古風。
側面は3間あります。
これ以上は板塀に阻まれて踏み込めないため、側面や背面の観察はできず。
鐘楼
境内の南西には鐘楼。
切妻、本瓦葺。
1644年(寛永二十一年)造営。本堂などとともに国重文。
上部は紅白を基調とした配色、下部は黒い袴腰のような外観。見たところ一重のようです。
柱は角面取りされていて、木鼻は拳鼻。
柱上の組物は、大斗と実肘木を組み合わせたもの。
軒裏は一重のまばら垂木。
妻飾りはシンプルな板蟇股が使われています。
破風板の拝みには、鰭付きの蕪懸魚。
その他の伽藍
鐘楼のとなりには名称不明の堂。
手前には鹿の像。
天武天皇が当地の山中で道に迷ったとき、鈴をつけた鹿に助けられ、これが「鈴鹿」の地名の由来とのこと。地蔵院との関連性については不明。
本堂の手前には手水舎。
切妻、桟瓦葺。
最後に東海道・関宿の様子。
上が京都方面、下が江戸方面。
以上、地蔵院でした。
(訪問日2021/09/19)