今回は諏訪大社下社春宮の境内にある摂社末社などの社殿や、春宮の裏手にある万治の石仏(まんじ-)について。
信濃国一宮・諏訪大社4社(四社)は、4社それぞれ他にない個性をもっていますが、下社春宮に来たなら是非とも見ておきたいのが「万治の石仏」です。
前回の記事では下社春宮の主要な社殿を紹介しましたが、今回は未紹介の社殿と、万治の石仏について紹介いたします。
下社春宮の境内社
若宮社と上諏訪社
下社春宮の境内に入り、幣拝殿の向かって右に行くと一之御柱があり、そのそばに2つの摂社が建っています。写真左が若宮社、右が上諏訪社です。
どちらもだいたい同じ流造(ながれづくり)で、正面に階段のない簡易的な造り(見世棚造りという)をしています。
装飾がほとんどなく、屋根の裏を見ても垂木はまばら。そして柱はすべて角柱。
悪く言えば粗末な造りですが、摂社はあくまでもおまけみたいな存在なので、このような粗めの造りにすることで本社との格のちがいが明示されるのです。また、摂社が複数ある場合は、垂木や組物などを見比べることで格の上下を推測することもできます。
筒粥殿
続いて、幣拝殿の向かって左側にある筒粥殿。
この中で粥を炊き、その出来映えで作物の吉凶や世相を占うとのこと。
うまく撮影できなかったので写真は割愛しますが、内部をのぞき込んで見ると三和土(たたき)の土間になっています。神社の社殿で土間は珍しいです。
基本的に神社建築の床は板敷きで、土間は避けられます。なお、この社殿で土間が採用されているのは、煮炊きすることを考慮すると土間のほうが合理的だからでしょう。
浮島社
〒393-0000長野県諏訪郡下諏訪町(地図)
下社春宮の境内から万治の石仏のあるほうへ向かうと、途中、川の中に小島があり、ここを通るルートが石仏への近道になります。
この小島は「どんな大水があっても水没しない」という伝承があるようですが、人工的な石積みがあるあたり、「水没しないようにしている」だけではないでしょうか?
浮島社の社殿は一間社流造(いっけんしゃ ながれづくり)。
先述の若宮社や上諏訪社とちがって母屋には丸柱が使われています。
万治の石仏
〒393-0093長野県諏訪郡下諏訪町(地図)
浮島社の前を通り過ぎて、川沿いの道を進んだ先に「万治の石仏」はあります。
石仏の周囲は水田になっており、夏は青田、秋は稲穂といった感じで石仏を四季折々に彩ってくれます。今回は5月中旬、田植え直前の時期の訪問でした。
ご覧の通り、なんとも言えない独特の造形バランス。岡本太郎氏や作家の新田次郎氏も絶賛しているとのこと。
万治という名前は、この石仏が作られたのが万治3年(1660年)であることに由来します。
風変わりな石仏ですが、手指の印の結びかたから阿弥陀如来だとわかります。鎌倉大仏と同じ形です。
なお、万治の石仏は胴体と頭が別パーツになっており、そのせいで稀に内部で霜柱が生じ、首が数センチほど伸び縮みするらしいです。
以上、諏訪大社下社春宮境内と「万治の石仏」でした。
(訪問日2019/05/18)