甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【諏訪市】諏訪大社上社本宮 後編(拝殿など)

今回も長野県諏訪市の諏訪大社上社本宮について。

 

前編では神楽殿、勅使殿、入口御門について述べました。

当記事では拝殿などの社殿について述べます。

 

摂末社遥拝所

布橋を通って拝殿へ向かうと、途中の左手に摂末社遥拝所が北面しています。

この社殿は、当社の摂社末社(当初は39社あったが現在は約100社あるらしい)をまとめて拝むための社殿のようです。

今回の訪問では工事中だったため、摂末社遥拝所と後述の四脚門は過去(2019/04/30)に撮った写真です。

 

摂末社遥拝所は、桁行13間・梁間2間、切妻、銅板葺。

見世棚造の流造に見えますが、文化庁によると切妻とのこと。

1828年(文政十一年)再建。「諏訪大社上社本宮 16棟」として国重文

 

四脚門と宝殿

布橋をさらに進むと、左手に四脚門と宝殿があります。

中央にあるのが四脚門、左に見切れているのが東宝殿、右が西宝殿。

 

四脚門(よつあしもん)は、一間一戸、四脚門、切妻、こけら葺。

1608年(慶長十三年)再建。上社本宮でもっとも古い社殿です。徳川家康の命を受けた大久保長安によって造営されたとのこと。

「諏訪大社上社本宮 16棟」として国指定重要文化財です

 

柱はいずれも円柱。柱上は出三斗。

頭貫には、繰型と渦状の模様のついた木鼻。

中備えには平三斗が使われています。

 

こちらは東宝殿の西面。左は布橋、右は勅使門。

東宝殿と西宝殿は、切妻、茅葺。

 

こちらは勅使門向かって右にある西宝殿。

2つの宝殿は御柱祭のある年に、交互に建て替えられます。よって、つごう12年に1度のペースで再建されます。

 

柱はいずれも角柱で、正面側面ともに3間。前方の1間通りは床が少し低く、向拝(外陣)のようです。

向拝部分の柱間の中備えは、透かし蟇股。諏訪梶の意匠が彫られています。

柱上の組物は連三斗。桁は凸字状に削られ、組物が桁を直接受けています。

 

拝所と勅願殿

布橋を通過し、境内の正面出入口の近くまで戻ってくると、拝殿や拝所へとつづく門が左手にあります。

 

門の先には宝物殿。近くにある社務所で入場料を払えば、展示されている社宝を見られます。

切妻、向拝1間 向唐破風、銅板葺。

校倉造を意識したぎざぎざの壁面になっています。

 

向拝部分には、蟇股や笈形付き大瓶束、兎毛通などの意匠が配されています。

母屋の扁額は「宝物殿」。

 

一般の参拝者が進入できるのは、こちらの拝所までです。拝所は北西向き。

切妻、銅板葺。

 

正面は3間。柱は円柱、柱上は大斗と舟肘木。

頭貫には四角い木鼻がついています。

軒裏は二軒まばら垂木。

 

側面は2間。

妻飾りは豕扠首。

破風板の拝みには猪目懸魚。

 

拝所の右手には、勅願殿が北東向きに鎮座しています。写真左端に見切れているのは文庫(修理中)。

勅願殿は、切妻、銅板葺。

文化庁によると1847年(弘化四年)造営。こちらも国重文です。

案内板によると、後述の拝殿が公式の祭事神事をする場所であるのに対し、こちらは個人の祈祷を行う場所とのこと。「勅願」とは言いますが、天皇でない人の祈祷もしたようです。

 

勅願殿の柱は円柱。柱上は出三斗。

柱間は虹梁がわたされ、中備えも出三斗が使われています。

軒裏は二軒繁垂木。

 

拝殿、幣殿および左右片拝殿

拝所の先は石畳の中庭になっていて、その奥に拝殿などの主要な社殿が北西向きに鎮座しています。

中央手前は拝殿、中央奥は幣殿、向かって左は左右片拝殿(左)、向かって右は左右片拝殿(右)。4棟いずれも「諏訪大社上社本宮 16棟」として国指定重要文化財です。

この独特の配置は諏訪造(すわづくり)と呼ばれる建築様式。諏訪地域とその周辺でのみ見られます。

 

なお、下社の秋宮春宮も諏訪造と呼ばれますが、そちらは楼門形式になっていて、当社とは構造がだいぶちがいます。この上社本宮の構造は、下社よりも富士見町乙事の諏訪社 *1のほうがよく似ています。

 

中央の拝殿。後方に見える平入の屋根は幣殿で、拝殿とは別の棟というあつかいのようです。

拝殿は、梁間1間・桁行1間、向唐破風、檜皮葺。

文化庁によると1857年(安政四年)再建。棟梁は立川流の名跡である立川和四郎富昌(2代目和四郎)で、この社殿は彼の代表作です。

 

軒下には立川和四郎富昌の手による彫刻が配されていますが、社殿に近づけないため詳細の観察は難しいです。

柱は円柱、中備えは竜の彫刻、組物は二手先であるのが確認できます。

 

縁側には跳高欄が立てられ、縁の下の羽目には波の彫刻があります。

 

左右片拝殿(左)は、桁行正面2間背面3間・梁間2間、切妻。

1835年(天保六年)再建。幣殿も同年の再建です。こちらも立川和四郎の作。

 

影になって観察できませんが、文化遺産オンラインによると左右片拝殿の内側(拝殿側)は、破風が唐破風になっているとのこと。この点では、諏訪護国神社の左右片拝殿と似ています。

 

左右片拝殿(右)。左の片拝殿を左右反転させたもの。

 

写真右に見切れているのは脇片拝殿。

脇片拝殿は、桁行3間・梁間1間、切妻、檜皮葺。

左右片拝殿と同年に造られたもので、こちらも国重文。

 

その他の社殿

これにて国指定重要文化財「諏訪大社上社本宮 16棟」のうち、15棟の紹介がおわりました。あとの1棟は「文庫」なのですが、訪問時は修理中だったため見落としてしまいました(場所は勅使殿向かって左)。再訪しだい、加筆して掲載したいと思います。

ほかにも、諏訪大社上社本宮の境内には多数の社殿が点在しています。

境内の正面出入口から右手へ進むと、交通安全祈祷殿が北面しています。

切妻、銅板葺。

 

柱は円柱、柱上は舟肘木。頭貫には木鼻。

妻飾りには格子が張られています。

 

中備えの板蟇股には、諏訪大社上社の紋「四根の諏訪梶」が浮き彫りになっています。

 

交通安全祈祷殿の右、社務所のあるほうには高島神社。

祭神は諏訪高島藩の藩祖・諏訪頼忠と、初代藩主・頼水、2代藩主・忠常の3柱。藩の設立と中興に貢献した3世代を祀った社殿です。

 

建築様式は、一間社神明造、銅板葺。

破風板の拝みに鞭掛がついています。しかし棟持柱がないため、神明造ではなく切妻としたほうが適当かもしれません。

柱は角柱、妻飾りは豕扠首、軒裏は一重繁垂木。

 

社務所の脇を通り抜けて境内西端へ進むと、波除鳥居(なみよけとりい)が北西向きに立っています。

木造の両部鳥居。1940年再建。2009年に解体修理を行ったとのこと。

 

諏訪大社にある多数の鳥居はほとんどは明神鳥居で、両部鳥居はめずらしいです。

当社はもともとこちらが正面の出入口(正門)で、この波除鳥居は当初の正門の位置のなごりをとどめる貴重な遺構です。

 

以上、諏訪大社上社本宮でした。

(訪問日2022/06/15,2023/03/15)

*1:諏訪大社上社本宮の旧社殿で、1617年(元和三年)に造営されたもの。1853年(嘉永六年)移築。