今回は愛知県蟹江町の冨吉建速神社・八劔社(とみよしたけはや-・はちけんしゃ)について。
冨吉建速神社・八劔社は蟹江川東岸の住宅地に並立して鎮座しています。2社をあわせた通称は須成神社(すなり-)。
創建は不明。社伝によると733年に行基によって龍照院(隣接する寺院)とともに創建され、1182年に源義仲によって再興されたらしいです。中世の沿革は不明ですが、現在の本殿は室町後期から桃山時代のもので、この頃には確立されていたと思われます。桃山時代は1583年の蟹江城合戦(小牧長久手の戦い)で本殿以外の社殿を焼失しています。その後、豊臣秀吉と徳川家康の参詣と寄進を受けています。江戸時代には牛頭天王社と呼ばれていましたが、明治の神仏分離令により現在の社号に改められました。
現在の境内は東側に龍照院が並立し、神仏習合の時代を偲ばせます。本社の冨吉建速神社本殿と末社の八劔社本殿は、室町後期のものが現存し、2棟とも国の重要文化財です。例祭の川祭りは「須成祭の車楽船行事と神葭流し」として国の重要無形民俗文化財に指定されています。
現地情報
所在地 | 〒497-0031愛知県海部郡蟹江町須成門屋敷上1363(地図) |
アクセス | 蟹江駅から徒歩15分 蟹江ICから車で5分 |
駐車場 | 10台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | なし |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
参道と拝殿
冨吉建速神社・八劔社の境内は南向き。入口は住宅地の生活道路に面し、境内西側を蟹江川が流れています。
社号標は、向かって右が「郷社 冨吉建速神社」、左が「郷社 八劔社」。
参道には木造明神鳥居が立っています。扁額はありません。
参道左手には手水舎。
切妻、桟瓦葺。
参道の先には拝殿。
切妻(妻入)、桟瓦葺。
正面の破風。
拝みに懸魚が下がり、左右の鰭は雲の意匠です。
大棟の鬼板や、屋根の丸瓦の部分には、織田木瓜の紋があしらわれています。
虹梁中備えは蟇股。
妻飾りは豕扠首ですが、中央の束の部分が扁額の影になっています。扁額は「冨吉建速神社 八劔社」。
向かって右の向拝柱。
几帳面取り角柱が使われ、柱上は大斗と実肘木。側面には木鼻があります。
本殿
拝殿の後方には透塀に囲われた本殿があります。
こちらは本殿と拝殿のあいだにある神門で、軒下が板や茂みに隠れてしまっているため、詳細の観察は困難です。
透塀の内側には2棟の本殿が並立していますが、こちらも塀や茂みに阻まれ、詳細な観察はできません。
まともな写真が撮れなかったため、案内板*1に掲載されていた写真を転載します。
向かって左は八劔社本殿で、三間社流造、向拝3間、檜皮葺。見世棚造。
室町後期の造営。なお、文化庁のデータベースには室町前期と書かれていました*2。国指定重要文化財*3。
向かって右は冨吉建速神社本殿で、一間社流造、檜皮葺。
室町後期の造営(案内板より)。国指定重要文化財*4。
2棟とも室町時代の古風な造りで、案内板によると一部に蟇股が使われており、室町から桃山への遷移がよくあらわれているとのこと。
龍照院
境内の東側には龍照院(りゅうしょういん)が鎮座しています。冨吉建速神社・八劔社とのあいだに境界はなく、両者の境内はほとんど一体となっています。
龍照院は真言宗智山派の寺院。山号は蟹江山、寺号は常楽寺。冨吉建速神社・八劔社とともに開かれた寺院で、明治時代の神仏判然令をうけて別々の神社と寺院に分離されています。
上の写真は本堂で、寄棟、向拝1間、桟瓦葺。
向拝柱は几帳面取り角柱。
側面に獏の木鼻がつき、柱上は連三斗。
虹梁は若葉の絵様と、眉欠、袖切が彫られたもの。
中備えは竜の彫刻。
母屋柱は面取り角柱。頭貫と台輪の位置に禅宗様木鼻がついています。
柱上の組物は出三斗と平三斗。中備えは蟇股。
右側面(東面)。
柱間は舞良戸と板壁。
後方には壁の設けられた庇がついています。
本堂向かって左手前には「大日如来」。
宝形、向拝1間、桟瓦葺。
虹梁中備えには鳥の彫刻がありますが、首が欠けてしまっています。
境内南側の駐車場の一画には鐘楼。
入母屋、桟瓦葺。
柱は円柱で、唐獅子の木鼻がついています。
飛貫と虹梁とのあいだの欄間には、雲間を走る麒麟の彫刻が入っています。
柱上の組物は出組。中備えは中央に出組が置かれ、その左右に蟇股が配されています。
境内東側には「秋葉大権現」。
龍照院の鎮守社なのか、あるいは別の神社なのか、詳細は不明。
以上、冨吉建速神社・八劔社でした。
(訪問日2024/10/26)
*1:蟹江町教育委員会による設置
*2:https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/1273、2024/12/14閲覧
*3:附:棟札3枚
*4:附:棟札5枚