甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【奈良市】手向山八幡宮

今回は奈良県奈良市の手向山八幡宮(たむけやま はちまんぐう)について。

 

手向山八幡宮は奈良公園の一角、東大寺の南東に鎮座しています。

創建は749年(天平勝宝元年)。東大寺の鎮守として宇佐神宮から勧請されたのがはじまりで、当初は平城宮の南に鎮座していたようです。その後、年代不明ですが東大寺大仏殿の南に移転し、南都焼討ののち社殿が再建されています。

現在地に移転したのは1250年(建長2年)。北条時頼によって東大寺千手院の跡地に移されました。その後の沿革は不明ですが、1691年(元禄4年)に現在の社殿が再建されています。明治期には神仏分離によって東大寺から独立しました。

現在の本殿は前述のとおり江戸中期のもの。境内社の住吉神社は鎌倉時代のもので、国重文となっています。校倉造の宝庫も国重文です。また、紅葉の名所として古くから著名だったようです。

 

現地情報

所在地 〒630-8211奈良県奈良市雑司町434(地図)
アクセス 近鉄奈良駅から徒歩25分
木津ICから車で20分
駐車場 なし(※東大寺周辺にコインパーキング多数あり)
営業時間 07:00-16:30(※時期により変動するため要確認)
入場料 無料
社務所 あり
公式サイト 手向山八幡宮 [Tamukeyama Hachimngu Shrine]
所要時間 20分程度

 

境内

門と宝庫

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手向山八幡宮の境内は西向き。入口は東大寺の一角にあります。

鳥居は赤い明神鳥居。右の社号標は「手向山神社」。

 

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参道を進むと楼門形式の門があります。

一間一戸、楼門、入母屋、本瓦葺。

左右には回廊が伸び、東大寺南西にある氷室神社表門と似た構成です。

 

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門の柱は円柱。柱上に大斗を置き、実肘木で上層の縁側を受けています。

上層は柱上に舟肘木を置き、桁を受けています。

軒裏は二軒まばら垂木。飛檐垂木(軒先のほうの垂木)は、先端に向けて細くなる形状をしています。

 

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門に向かって右手、参道南側には校倉造の宝庫があります。

入母屋、本瓦葺。校倉造。

奈良時代の造営と考えられていますが、詳細は不明。国指定重要文化財

 

高床式で、三角柱状の校木(あぜき)を積み上げた壁面が特徴的。

この向かいには東大寺法華堂の経庫があり、そちらも校倉造になっています。

 

拝殿

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門の先には渡り廊下のような屋根があり、その先に拝殿があります。

上の写真は渡り廊下の軒下から拝殿のほうを見た図。

 

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こちらは拝殿左側面(北面)。

拝殿は、桁行3間・梁間3間、入母屋、銅板葺。

すべての柱間が吹き放ちで、神楽殿のような造り。こちらも氷室神社の拝殿と似ています。

 

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拝殿正面から奥のほうを見ると、横長の本殿が壁のようにそびえています。

 

本殿

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拝殿の奥には、塀に囲われた本殿が鎮座しています。本殿は非常に横に長く、全体像を一枚の写真に収めるのは困難です。

本殿は、桁行11間・梁間2間、十一間社入母屋、向拝不明、銅板葺。

1691年(元禄四年)再建。県指定有形文化財。

祭神は誉田別命や神功皇后などの八幡神。

 

本殿は、三間社(正面が3間ある本殿)を左右に3棟並べ、つなぎの部分を1間あけた構造になっています。母屋の正面は11間(十一間社)もあり、神社本殿として最大級の規模です。十一間社の本殿は非常にめずらしく、私の知る範囲では数件しかありません。

向拝部分については、間口を数えるのを忘れてしまったうえ、全体像を写真に撮れなかったため、向拝が何間なのか確認できませんでした... 東大寺に再訪できたときは再確認したいと思います。

 

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向拝柱は角面取り。面取りの幅はあまり大きくありません。

柱上の組物は舟肘木。軒裏を受ける手挟は、繰型が彫られています。

左右の向拝柱をつなぐ虹梁などはありません。

破風板の桁隠しには、猪目懸魚が下がっています。

 

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母屋柱は円柱。柱上は舟肘木。

軸部は長押で固定され、頭貫木鼻は使われていません。

扉の部分には布がかけられ、どのような建具が使われているのかわからず。

縁側は前方のみ設けられています。欄干は擬宝珠付き。

 

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入母屋破風には金色の飾り金具がついています。破風板の拝みには猪目懸魚。

妻飾りは虹梁と豕扠首。

 

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向かって左脇の軒下には、このような流造の本殿がついていました。武内社というらしいです。祭神は武内宿禰。

一間社流造、檜皮葺。

雨の当たる部分には、波板をかぶせて保護しています。

 

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本殿を右側から見た図。

 

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本殿向かって右側(南)にも境内社があります。

写真右は高良神社。桁行3間・梁間2間、三間社切妻、向拝1間、銅板葺。祭神は大伴健将。

写真左は社名および祭神不明。一間社流造、銅板葺。見世棚造。

 

境内社

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境内南側、板塀の外にも多くの境内社があります。

こちらは若宮神社拝殿。切妻(妻入)、銅板葺。

 

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若宮神社の手前は「菅公腰掛石」。手前に明神鳥居が立てられています。

どういったいわれがあるのかは不明。私にはただの歌碑にしか見えません。

歌碑は「このたびは ぬさもとりあへず手向山 もみぢのにしき 神のまにまに」。菅原道真が当地で詠んだとされる歌で、古今和歌集に収録されています。小倉百人一首では24番「菅家」として選定されていて、独特な憶えやすいフレーズなので、かるたで知った人も多いはず。

 

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若宮神社のさらに南には、2棟の社殿が並立しています。

写真左は四社合殿。明武神社、劔神社、八子神社、松童神社の4社を合祀したもの。五間社流造、向拝3間、本瓦葺。見世棚造。

写真右は二社合殿。阪本神社と恵比寿神社を合祀したもの。二間社流造、向拝1間、本瓦葺。見世棚造。

 

五間社も二間社も神社本殿ではめずらしく、本殿で本瓦葺が採用されるのもめずらしいです。

 

住吉社

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境内南端には住吉社が鎮座しています。

桁行3間・梁間1間、三間社流造、向拝1間、檜皮葺。

鎌倉時代の造営と考えられています国指定重要文化財

祭神は住吉三神。扉が3組あるため、神功皇后(住吉大社では住吉三神とともに祀られている)はいないと思われます。神功皇后は八幡宮の主祭神なので、わざわざここに祀る必要もないのでしょう。

 

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向拝は1間。

虹梁中備えにはシンプルな透かし蟇股が置かれています。

向拝柱は角面取りで、柱上は連三斗。虹梁木鼻のかわりに斗栱が使われ、連三斗を持ち送りしています。

母屋正面には3つの扉が設けられています。

縁側は正面と両側面の3面にまわされ、欄干は跳高欄。背面側には脇障子が立てられています。

 

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母屋柱は円柱。

軸部は長押で固定。頭貫木鼻はありません。中備えもありません。

母屋と向拝柱は、まっすぐな梁でつながれています。

妻飾りは豕扠首。破風板の拝みと桁隠しには猪目懸魚。

 

以上、手向山八幡宮でした。

(訪問日2021/11/22)