甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【府中市】大國魂神社

今回は東京都府中市の大國魂神社(おおくにたま-)について。

 

大國魂神社(大国魂神社)は市の中心地に鎮座する、武蔵国の総社です。

創建は不明。社伝によると第12代・景行天皇の時代とのこと。

645年(大化元年)に、当社の境内に国府が置かれ、武蔵国の主要な6社が合祀されました。鎌倉時代には幕府の崇敬を受け、社殿の再建や修理が行われています。安土桃山時代には、関東に移封された徳川家康の寄進を受け、江戸時代も幕府の寄進で社殿が再建されています。

現在の境内は江戸中期から近現代にかけて整備されたもの。本殿は徳川家綱の命で再建されたもので、都指定文化財。改修によって、六間社という非常にめずらしい形式になっています。また、参道のケヤキ並木が国の天然記念物に指定されています。

 

現地情報

所在地 〒183-0023東京都府中市宮町3-1(地図)
アクセス 府中駅または府中本町駅から徒歩5分
稲城ICまたは府中スマートICから車で10分
駐車場 30台(無料)
営業時間 06:00-17:00(※季節により変動するため注意)
入場料 無料
社務所 あり
公式サイト 厄除け・厄払いは東京府中の大國魂神社
所要時間 30分程度

 

境内

参道

大國魂神社の境内は北向き。非常にめずらしい方角を向いています。

当初は南向きだったようですが、1051年に源頼義によって北向きに改められています。理由は、公式サイトによると“朝廷の権力が届きにくい東北地方を神威によって治める”ためらしいです。

 

鳥居は石造の明神鳥居。扁額はありません。

参道にはケヤキが植えられ、「馬場大門のケヤキ並木」として天然記念物。

 

参道左手には摂社・宮乃咩神社(みやのめ-)が西面しています。

入口には石造の明神鳥居。

 

社殿は、切妻、正面軒唐破風付、向拝1間 軒唐破風付、銅板葺。

祭神はウズメ。

 

向拝部分。

木鼻や蟇股が使われ、兎毛通には大ぶりな猪目懸魚が下がっています。

 

手水舎

(上:北東面、下:南西面)

参道右手には手水舎。

入母屋、正面背面千鳥破風付、正面背面及び両側面軒唐破風付、銅板葺。

 

前後左右の各面に、唐破風と三角の破風(入母屋破風と千鳥破風)が付き、非常に込み入った造り。

 

さらに軒下には大量の彫刻が配され、小さな手水舎ながら圧倒的な情報密度となっています。

良く言えば派手でにぎやか、悪く言えば過密でけばけばしいと思います。

 

柱は几帳面取り角柱。

正面と側面に唐獅子の木鼻。その上にも、斜め方向に獏の木鼻が出ています。

柱と虹梁のあいだには波の意匠の持ち送り。

虹梁中備えは竜の彫刻。

組物は、出三斗がびっしりと並べられています。

 

唐破風の小壁には、波の彫刻。

破風板の兎毛通は鳳凰の彫刻。

 

随神門

参道を進むと、独特な形状の随神門があります。

三間一戸、八脚門、切妻、正面向唐破風付、銅板葺。

 

正面の屋根の軒先が途切れ、そこを覆うように唐破風が伸びているのが印象的。

美しいかどうかはともかく、インパクトがあって記憶に残る構造だと思います。

 

中央の唐破風の部分。

笈形付き大瓶束とも蟇股ともつかない意匠が使われています。

兎毛通は猪目懸魚。

 

通路部分の柱。

前面には獏の木鼻。内側(写真右)には繰型のついた木鼻が設けられています。

柱上は舟肘木。

 

鼓楼

社務所の手前には鼓楼。

入母屋、桟瓦葺。下層袴腰。

1854年(嘉永七年)再建。市指定有形文化財。

 

東面。柱間は3間。

円柱が使われ、軸部は長押で固定されています。頭貫木鼻はありません。

柱間は板戸と連子窓。

組物は木鼻付きの出組。中備えは間斗束。

 

組物に木鼻が入っていますが、それを除くと和様の意匠で構成されています。

 

北面は2間。

縁の下は腰組で支えられ、中備えに透かし蟇股が置かれています。

 

破風板の拝みには、蕪懸魚を2つつなげたような意匠の懸魚が下がっています。

鬼瓦や丸瓦には菊の紋。

 

下層は袴腰。

壁面は下見板が張られています。

 

神楽殿

境内西側(参道右手)には神楽殿

入母屋(妻入)、銅板葺。

 

柱は大面取り角柱。正面と側面には拳鼻。

虹梁には白い線で唐草が彫られています。柱から出た斗栱が、虹梁を持ち送りしています。

柱間は舞良戸。

 

虹梁中備えの板蟇股。

なにを題材にしたのか私には皆目見当がつきませんが、とてもおもしろい意匠だと思います。

 

中雀門と社務所

境内の中心部は塀で囲われており、正面の入口には中雀門(ちゅうじゃくもん)が設けられています。

一間一戸、平入唐門、銅板葺。

 

柱は円柱。門扉は連子のついた桟唐戸。

柱から腕木を伸ばし、軒を受けています。

 

背面。

飛貫の上の中備えは蟇股。黄色を基調とした独特な彩色がおもしろいです。

 

妻面。

鬼板には菊の紋。

破風板の拝みの懸魚は、若葉のような意匠。

 

門をくぐって進むと、左手に社務所があります。

出入口には大きな向唐破風の屋根。

 

柱についた木鼻は、大仏様木鼻と禅宗様木鼻の中間的な意匠。

虹梁中備えは蟇股。蟇股の上に巻斗が2つ横並びに乗っているのが風変わり。

 

拝殿

境内の中心部には拝殿があります。

切妻、向拝3間 入母屋(妻入)、正面軒唐破風付、銅板葺。

 

向拝の軒下。中央の突き出た入母屋の部分が拝所になっています。

柱は角柱。象鼻や板蟇股が使われています。

 

拝所の側面。

向拝柱と母屋は、まっすぐな梁でつながれています。中備えは蟇股。

拝所の内部は格天井。

軒裏は二軒まばら垂木。母屋と向拝の軒裏が直交しており、二重の垂木が複雑に折り重なって、見ごたえのある取り合いになっています。

 

入母屋破風と軒唐破風。

社殿が北向きのせいでどうしても逆光になってしまい、破風の内部がうまく撮れませんでした...

 

妻壁。母屋部分は切妻です。

角度がついて見づらいですが、海老虹梁や大瓶束が使われています。

 

本殿

拝殿の後方には、塀に囲われた本殿が鎮座しています。

桁行9間・梁間2間、九間社流造、向拝5間、銅板葺。

1667年(寛文七年)再建。都指定有形文化財。

祭神は大國魂大神(大国主?)のほか、武蔵国の一宮から六宮の祭神が合祀されています。

 

本殿の建築様式は九間社流造(きゅうけんしゃ ながれづくり)という非常にめずらしい様式。母屋正面の間口が9間もあるようです。

正面3間の三間社流造(さんけんしゃ ながれづくり)はありきたりな様式ですが、公式サイトによるとその三間社流造を3棟並べて連結した九間社流造だそうです。

境内の案内板(本殿の東側にあったもの、東京都教育委員会の設置)には“一間社流造の社殿三棟を横に連結した三間社流造”とありましたがこれは誤記で、公式サイトの九間社流造という記述が正しいです。

 

向拝は5間。

5間あるうち、中央と両端の各1間に階段が設けられています。

向拝柱は几帳面取り角柱。

柱上は出三斗、中備えは間斗束でした。

 

左側面(東面)の妻壁。

組物は大斗と実肘木。

妻飾りは豕扠首。

破風板の拝みと桁隠しには猪目懸魚。

 

右側面(西面)後方。

母屋柱は円柱。

 

縁側の背面をふさぐ脇障子には草花が描かれています。

脇障子の柱は、几帳面が金色に塗り分けられています。

 

縁の下は縁束と腰組で支えられています。

母屋は亀腹の上に建てられています。

 

大棟には千木と鰹木。

鰹木は内削ぎ(先端が水平にカットされたもの)で、長方形の風穴が開けられています。

鰹木は、細長い棒状のものが8本。

 

境内社

本殿の周辺には多数の境内社があります。

こちらは本殿東側に西面する松尾神社。

松尾大社(京都市)から勧請。酒や醤油など、醸造の神。

 

入口には石造の明神鳥居。扁額は「松尾社」。

社殿は切妻、銅板葺。

 

松尾神社の隣に西面する巽神社(たつみ-)。

入口には石造の神明鳥居。

社殿は切妻、銅板葺。

 

本殿の西側には、東照宮が東面しています。

手前の神門は、一間一戸、切妻、銅板葺。

 

社殿は、桁行1間・梁間2間、切妻、向拝1間、鉄板葺。

2代将軍・徳川秀忠の命で1618年(元和四年)造営。市指定文化財。

徳川家康の墓を久能山(静岡市)から日光へ移す途上、府中に一晩留まり、当社の宮司が祭祀を務めたとのこと。その縁でここに東照宮が分祀されているようです。

 

一間社ですが、側面は2間あります。

ほかの境内社とくらべても規模が大きく、少し凝った造り。

屋根は切妻で、正面の庇の部分は縋破風がついています。

 

東照宮のとなりには大鷲神社(おおとり-)と住吉神社。

大鷲神社は大鳥大社(堺市)からの勧請。住吉神社は文字どおり住吉大社(大阪市)からの勧請。どちらも大阪府内の大社です。

 

入口には石造の明神鳥居。扁額は「大鷲神社 住吉神社」。

社殿は切妻、銅板葺。

 

以上、大國魂神社でした。

(訪問日2022/03/12)