今回は愛知県豊川市御津町下佐脇(しもさわき)の佐脇神社(さわき-)について。
佐脇神社は下佐脇地区の住宅地に鎮座しています。
創建は社伝によると平安末期で、紀伊国熊野から当地へ移住した一族によって熊野本宮大社が勧請されたのがはじまりとのこと。その後、速玉大社と那智大社にあたる神社を近隣に祀り、熊野三山を模したようです。中世の詳細な沿革は不明ですが、室町後期には領主の奥平氏の崇敬を受け、社殿が再建されています。当初は熊野権現と呼ばれていたようですが、明治時代に現在の社号に改められました。
現在の境内や社殿は江戸時代以降に整備されたものです。境内の一画に鎮座する五社宮は江戸前期から中期の建築とされ、市の文化財に指定されています。
現地情報
所在地 | 〒441-0302愛知県豊川市下佐脇宮本81(地図) |
アクセス | 愛知御津駅から徒歩15分 小坂井御津ICから車で5分、または音羽蒲郡ICから車で20分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | なし |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
拝殿と本殿
佐脇神社の境内は東向き。入口は住宅地の生活道路に面し、境内北側を東海道本線が通っています。
向かって右の社号標は「郷社 佐脇神社」。
入口から少し奥に入った位置に石造明神鳥居が立っています。扁額はありません。
参道右手には手水舎。
切妻、桟瓦葺。
左手には社務所。
入母屋、桟瓦葺。玄関部分は切妻(妻入)。
境内の中心部には拝殿があります。
入母屋、桟瓦葺。
柱は面取り角柱が使われ、軸部は貫と長押で固定されています。
柱間は半蔀と縦板壁。ほか、桟唐戸が使われています。
組物や中備えなどの意匠はありません。
縁側は正面と両側面に設けられており、側面の縁側は途中で途切れています。
拝殿の後方には本殿が鎮座していますが、軒下が板で覆われています。
祭神は熊野権現。案内板(御津町*1教育委員会)によるとイザナキ、速玉男命、事解男命。
本殿は、梁間3間?・桁行不明、隅木入り春日造、向拝1間、銅板葺。
屋根は妻入りで入母屋に似た軒まわりとなっており、隅木入り春日造(熊野造と呼ぶこともある)という建築様式です。東海地方の神社本殿の多くは流造か入母屋で、私の知る範囲では春日造や隅木入り春日造の例はほぼありません。当社の本社にあたる熊野本宮大社(和歌山県田辺市)の本殿は妻入りで入母屋のような軒まわりで造られているため、それにならって当地ではめずらしい隅木入り春日造が採用されたのだと思います。
正面の破風。
拝みには鰭付きの猪目懸魚が下がっています。鰭は雲の意匠。
妻面には大瓶束が立てられています。
大棟には鰹木が3本。
背面は3間。柱間は横板壁。背面は縁側がありません。
母屋柱は円柱で、頭貫に木鼻があります。
柱上の組物は出三斗と平三斗。中備えは蟇股。
妻飾りは二重虹梁で、大瓶束が使われています。
破風板には蕪懸魚が3つ下がっています。
五社宮本殿
拝殿の右側(北側)には摂社の五社宮が東面しています。
別名は御所宮。第41代・持統天皇が三河国に行幸した際、この近くに行在所を設けたという伝承があるようです。
五社宮本殿は、桁行3間・梁間1間、三間社切妻、向拝1間、銅板葺。
棟札より1677年(延宝五年)造営。市指定有形文化財。
虹梁と向かって右の向拝柱。
虹梁は無地のものがわたされ、中備えに蟇股が置かれています。蟇股の彫刻は菊。
向拝柱は面取り角柱。側面に木鼻がつき、柱上は連三斗。
向拝の組物の上では、手挟が軒裏を受けています。手挟は複雑に入り組んだ繰型がついています。
破風板の桁隠しには、蕪懸魚が下がっています。
向拝の足元には角材の階段が7段。階段は母屋の正面中央の1間の幅だけ設けられています。
母屋部分。扁額は「五社宮」。
正面は3間。前方の柱筋から奥まった場所に3組の板戸が設けられ、左右の板戸はひとまわり小さいものになっています。
母屋柱は円柱。柱上は連三斗。
正面の柱筋には虹梁がわたされ、木鼻がついています。虹梁の上の中備えは平三斗と蟇股。
右側面(北面)。
側面は1間で、横板壁が張られています。
縁側はくれ縁で、背面側には脇障子が立てられています。脇障子の羽目板には菱形の文様。
妻壁。
頭貫の上の中備えは蟇股。蟇股や連三斗が、妻虹梁を直接受けています。
妻虹梁の上では、大瓶束が棟木を受けています。
破風板の拝みには蕪懸魚。
背面は3間。柱間はこちらも横板壁です。
頭貫の上の中備えは省略されています。
母屋柱の床下と、縁束(写真左端)。
母屋柱の床上は円柱ですが、床下は八角柱になっています。
以上、佐脇神社(下佐脇)でした。
(訪問日2024/04/14)
*1:現在の豊川市御津町