今回は奈良県橿原市の人麿神社(ひとまろ-)について。
人麿神社は橿原市の中心市街地に鎮座しています。
創建は不明。柿本神社(葛城市新庄町)から分祀されたと伝えられています。本殿は1345年に造られたことがわかっており、当社は室町初期には確立されていたと見ていいでしょう。江戸期には人丸明神社や柿本人麻呂大明神社と呼ばれていたようです。
境内は拝殿と本殿だけの小規模なものですが、本殿は室町前期に造られた国重文となっており、棟札(修理の記録)とともに保存されています。また、本殿は当地ではややめずらしい隅木入り春日造となっています。
現地情報
所在地 | 〒634-0805奈良県橿原市地黄町445(地図) |
アクセス | 大和八木駅から徒歩15分 橿原北ICから車で10分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | なし |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
拝殿
人麿神社の境内は南向き。奈良盆地南部の中心駅である大和八木駅にほど近い住宅地の一角にあります。
鳥居は石造の明神鳥居。扁額は「人麿神社」。
拝殿は切妻、向拝1間・切妻(妻入)、桟瓦葺。
向拝。
向拝の屋根は直線的な切妻。破風板の桁隠しに懸魚が下がっていますが、拝みには懸魚がありません。
内部に天井はなく、化粧屋根裏となっています。
向拝柱は几帳面取り角柱。
柱上の組物は大斗と舟肘木(?)を組んだもの。舟肘木の形状が独特。
木鼻は正面側面ともに象鼻。右に見切れている虹梁は、唐草状の線彫りがついていますが、標準的な虹梁のような絵様の唐草ではありません。
虹梁中備えは板蟇股。「土」の字のような個性的なシルエット。
虹梁中央、板蟇股の下には鳥居の形状に彫られています。
ありふれた切妻の拝殿ですが、向拝まわりの細部意匠がおもしろく、印象に残る造りだと思います。
本殿
拝殿の後方には塀に囲われた本殿が鎮座しています。祭神は柿本人麻呂。
一間社隅木入り春日造、檜皮葺。
1345年(康永四年)造営。国指定重要文化財。
詳細は下記のとおり。
(※前略)
本殿は、一間社隅木入春日造りの小社殿で、棟木銘に■(※引用者注:□に康)永四年(1345)と墨書され、この時代の建立様式の特徴がよく現われており蟇股や木鼻等の細部の意匠も優れています。
建立当初は屋根が厚板葺で隅木は無く脇障子が身舎前柱の位置に移る等後世の修理によって改変をうけ現在にみられる形になっています。
資料には棟札十一枚が所蔵され、元和四年(1618)・寛文二年(1662)・文政三年(1820)・弘化二年(1854)・明治年間四枚・昭和年間三枚があっていずれも修理棟札です。
橿原市教育委員会
正面の向拝の部分。
向拝柱は角柱。室町初期のものにしては面取りが小さいように感じました。
柱上の組物は連三斗。向拝柱の側面には象鼻が設けられ、巻斗を介して組物を持ち送りしています。
虹梁中備えは透かし蟇股。はらわたに彫刻はなく、シンプルかつ古風で純粋な蟇股です。
反対側、向かって左側面(西面)。
向拝柱と母屋は、まっすぐな梁でつながれています。
軒裏を観察すると、この本殿は母屋から斜め前方に向けてのびる部材(隅木)が使われ入母屋に似た軒まわりとなっています。隅木のある春日造を「隅木入り春日造」(すみきいり かすがづくり)と言い、隅木のない純粋な春日造とくらべると比較的新しい建築様式と言えます。ちなみに、現存最古の隅木入り春日造は宇太水分神社本殿(奈良県宇陀市)で、鎌倉時代末期のものです。
私の観察になりますが、春日造の本殿は全国的に見れば隅木入りのほうが多数派です。しかし当地では例外のようで、奈良県では隅木なしのほうが圧倒的に数が多く、この本殿のような隅木入り春日造はめずらしいです。この本殿も当初は隅木なしだったようですが、江戸期以降の改修でなぜか隅木入りに改められた模様。
母屋正面は板戸。
前方の階段は6段あり、直角三角形にカットされた角材で構成されています。
母屋柱は円柱。壁面は白い壁板。
縁側は3面にまわされ、欄干は跳高欄。脇障子は背面の柱の脇に立てられていますが、過去の修理では前面の柱のほうに移されることもあったようです。
母屋柱は円柱。
頭貫には禅宗様と大仏様の中間的な形状をした木鼻が設けられています。
柱上の組物は出三斗。中備えは蟇股で、はらわたには平面的な造形の彫刻が入っています。
背面。
中備えは彫刻のない蟇股。妻飾りは豕扠首。
破風板の拝みと桁隠しには懸魚が下がっています。
大棟には外削ぎの千木と鰹木が2つ乗っています。
以上、人麿神社でした。
(訪問日2021/10/15)