今回は静岡県菊川市の応声教院(おうしょうきょういん)について。
応声教院(應聲教院)は市南部の丘陵に鎮座する浄土宗の寺院です。山号は松風霊山。別名は桜ヶ池奥ノ院。
創建は不明。寺伝によると、855年(斉衡二年)に勅願を受けた円仁によって開かれ、当初は天岳院という天台宗寺院だったようです。1175年(承安五年)、浄土宗の開祖である法然によって現在の宗派と院号に改められました。中世から近世にかけての詳細な沿革は不明。1918年には現在の山門が移築されました。
現在の境内伽藍は近現代に整備されたものと思われます。山門については江戸前期に徳川秀忠の寄進で造られたものとされ、国の重要文化財となっています。
現地情報
所在地 | 〒439-0036静岡県菊川市中内田915(地図) |
アクセス | 菊川駅から徒歩60分 菊川ICから車で10分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 境内は随時 |
入場料 | 無料 |
寺務所 | なし |
公式サイト | なし |
所要時間 | 15分程度 |
境内
山門
応声教院の境内は南向き。境内は丘陵上にあり、正面の入口は農地に面した集落の中にあります。
石段の先には山門が鎮座しています。
桁行3間・梁間1間、三間一戸、切妻、本瓦葺。
1628年(寛永三年)造営。2代将軍・徳川秀忠の寄進によって静岡市の宝台院に造営されたもので、1918年(大正七年)に現在地へ移築されました。棟梁は甲良宗広で、日光東照宮、増上寺台徳院霊廟、寛永寺五重塔などの造営にかかわった人物です。
正面の軒下。手前には「劣化により倒壊の危険が出てきたため近づかないでください」という旨の看板が立てられています。
正面は3間で、中央の1間が通路となっています。
当初より寺院の門として造られたものですが、軸部には太い材が多く使われていて、寺院というよりは城郭の門のような外観となっています。
正面の軒下。
柱間の左右方向(長手方向)には冠木がわたされ、そこから腕木を伸ばし、巻斗と実肘木を介して軒桁を受けています。この部分だけ見ると、薬医門に似た構造だと感じます。
正面中央の腕木のあいだには、竜の彫刻が置かれています。
正面の軒下から内部を見た図。奥に見えるのは本堂。
内部に掲げられた扁額は山号「松風霊山」。
右側面(東面)。
柱はいずれも面取り角柱が使われています。隅の柱は、前後方向を貫でつないでいます。
妻面。
前後方向にも冠木(腕木)がわたされ、大斗と実肘木を介して妻虹梁を受けています。
妻虹梁は眉欠きと袖切があり、両端に渦状の絵様があります。
妻飾りは板蟇股。笈形付き大瓶束のようなシルエットの板蟇股です。
破風板の拝みには蕪懸魚。左右に鰭が付いていますが、右側が欠損してしまっています。桁隠しの懸魚はありません。
左側面(西面)から内部を見た図。写真右が正面です。
内部も前後方向に梁がわたされています。この写真では見えないですが、梁は門の前方に突き出し、軒先を支える腕木となっています。
背面。
こちらも左右方向に冠木をわたし、腕木の上の斗栱で軒桁を受けています。
軸部の構造は前後対称に近く、この点では八脚門に似た構造です。
鐘楼
山門向かって右側には鐘楼があります。こちらは参道から見た図(西面)。
入母屋、桟瓦葺。
柱は面取り角柱。頭貫には木鼻がつき、柱上に台輪が通っています。
柱上の組物は出組。
頭貫の下側には、下端を火灯状の曲線に削った板材が添えられています。
台輪の上の中備えは蟇股。
内部には竜の天井画が描かれ、梵鐘が吊るされています。
もとあった鐘は戦時中に供出され、現在の鐘は戦後に信徒が寄進したものとのこと。
入母屋破風には木連格子が張られています。
破風板の拝みには蕪懸魚。
本堂周辺
山門をくぐって境内の奥へ進むと、参道左手に手水舎があります。
切妻、桟瓦葺。
柱は面取り角柱。頭貫には波の彫刻の木鼻があります。
柱上には台輪が通り、組物は出三斗、中備えは平三斗と蓑束。
妻飾りは笈形付き大瓶束。
内部は格天井が張られています。
境内西側には2棟の堂が東面しています。こちらは愛染殿。
寄棟、向拝1間、銅板葺。
こちらは大師堂。
入母屋(妻入)、向拝1間、桟瓦葺。
境内の奥には本堂が南面しています。訪問時は工事中で、一般の参拝者は立入禁止となっていました。
入母屋(妻入)、銅板葺。
以上、応声教院でした。
(訪問日2024/04/13)