今回も滋賀県近江八幡市の日牟禮八幡宮について。
当記事では拝殿、本殿、境内社について述べます。
拝殿と幣殿
楼門の先には拝殿が鎮座しています。楼門は南西向きですが、その先の拝殿はすこし左に曲がった軸上にあります。
入母屋(妻入)、銅板葺。正面庇付。
造営年不明。公式サイトによると文化年間に改修した記録があるようで、おそらく江戸中期から後期に再建されたものと思われます。
正面の入母屋破風。
破風板の飾り金具は、拝みに菊の紋がつき、左右に菊の彫金がついています。
破風には木連格子が張られ、拝みには猪目懸魚が下がっています。
母屋柱は面取り角柱。
柱間は長押で固定され、頭貫木鼻はありません。中備えもありません。
柱上は舟肘木。
拝殿の後方には、幣殿と本殿がつづいています。こちらは幣殿。
入母屋(妻入)、銅板葺。
造営年不明。拝殿と似た造りのため、同年代のものと思われます。
本殿
幣殿の後方には本殿が鎮座し、社務所とのあいだに橋がわたされています。祭神は誉田別命などの八幡神。
桁行3間・梁間3間、三間社流造、向拝1間、銅板葺。
造営年不明。公式サイトによると、嘉暦年間(1326-1329)から文化年間(1804-1818)にかけて何度か修繕や造替が行われた記録があり、戦後に屋根の葺き替えが行われたとのこと。
左側面。
側面は3間。3間のうち前方(写真右)の1間は外陣に相当する前室で、後方の2間が内陣に相当する部分になっています。このような前室付きの本殿は、滋賀県内でよく見られます。
前室部分の柱間。
前室の柱(写真右)は角柱。内陣の柱(写真左)は円柱。どちらの柱も手前に木鼻が付き、柱上は連三斗です。
前室の柱と内陣の柱のあいだには、虹梁がわたされています。
前室部分の柱間には、引き戸が使われています。
内陣部分の柱間は、2間とも横板壁。
縁側は切目縁に跳高欄が立てられ、前室よりも内陣のほうが床が高く造られています。
縁側の背面側には脇障子が立てられています。
反対側、右側面。
こちら側は内陣部分の柱間に、板戸が設けられています。
縁側の脇障子。
唐獅子が彫られています。
柱間は長押と頭貫でつながれ、頭貫の位置に彫刻があります。
柱上の組物は平三斗と連三斗。中備えはありません。
妻飾りは、無地の虹梁の上に大瓶束が立てられています。
背面は3間。柱間は横板壁。
縁側はまわされていません。
境内社
本殿周辺には多数の境内社が点在しています。
こちらは本殿向かって左側(北西)にある岩戸神社。祭神はアマテラス。
後方に見える本殿は、神明造、銅板葺。
境内北側には天満宮などの3社が並立しています。
入口には石造明神鳥居。扁額は「天満宮」。
左から、常盤神社、天満宮、宮比・子安神社。
3棟とも、一間社流造、銅板葺。
中央の天満宮は、虹梁中備えや妻飾りなどに彫刻があり、ほかの境内社よりも凝った造りです。
境内南側の区画にも境内社があります。
こちらは第一摂社(社内でもっとも格の高い境内社)の大島神社。祭神は大国主と仁徳天皇。
桁行2間・梁間1間、二間社流造、向拝1間、銅板葺。
向拝柱は几帳面取り角柱。側面に象鼻が付いています。
柱上は連三斗。
虹梁中備えは蟇股。梅と思しき花の彫刻が入っています。
母屋の正面(桁行)は2間で、2組の扉が設けられています。このような本殿は二間社(にけんしゃ)といい、ほとんどの本殿は一間社か三間社なので、めずらしい造りといえます。
扉の上の中備えの蟇股にも、菊や唐草の彫刻があります。
母屋柱は円柱で、頭貫に木鼻があります。
中備えは蟇股、妻飾りは大瓶束。破風板の拝みには蕪懸魚。
大島神社向かって右側(南東)には3棟の境内社が並立しています。
左端は繁本稲荷。
一間社流造、銅板葺。
中央は八坂神社。
一間社流造、銅板葺。
いたって普通の流造に見えるのですが、向拝柱や繋ぎ虹梁の構成が独特で、珍妙な造りをしています。
半端な長さの向拝柱(写真右)の上に海老虹梁らしき部材が乗って母屋柱の腰につながり、海老虹梁の途中に組物が乗って軒裏を受けています。
右端は恵比寿神社。
神明造、銅板葺。
前述の岩戸神社を小型化・簡略化した造り。
以上、日牟禮八幡宮でした。
(訪問日2024/02/17)