甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【近江八幡市】日牟禮八幡宮 前編 楼門

今回は滋賀県近江八幡市の日牟禮八幡宮(ひむれ はちまんぐう)について。

 

日牟禮八幡宮は市北部の八幡山のふもとに鎮座しています。

創建は不明。社伝によると、第13代・成務天皇の命を受けた武内宿禰によって開かれた神社が当社の前身で、飛鳥時代には藤原不比等が当社を参詣したらしいです。991年(正暦二年)には、一条天皇の命で八幡宮が勧請され、社殿が造営されました。鎌倉時代は近江守護の佐々木氏によって社殿が再建され、室町時代は六角氏の崇敬を受けました。

桃山時代は羽柴秀次の領地となり、八幡山城の築城にともなって当社を日杉山(同市日杉町)へ移転する計画が立ち上がりましたが、秀次の転封と粛清によって、移転は中止となりました。八幡山城も廃城となりましたが、城下は商人の町となり、近江商人の崇敬を受けました。江戸時代には幕府の寄進を受けています。

現在の社殿は江戸時代から近現代のもの。当社とその周辺は重伝建「近江八幡市八幡伝統的建造物群保存地区」に選定されていて、白雲館や八幡堀など往時を偲ばせる情緒ある景色が残されています。

 

当記事では境内周辺の史跡と楼門について述べます。

拝殿、本殿、境内社については後編をご参照ください。

 

現地情報

所在地 〒523-0828滋賀県近江八幡市宮内町257(地図)
アクセス 近江八幡駅から徒歩50分
竜王ICから車で25分
駐車場 100台以上(無料)
営業時間 08:30-17:00
入場料 無料
社務所 あり
公式サイト 日牟禮八幡宮
所要時間 20分程度

 

境内

参道と八幡堀

日牟禮八幡宮の境内は南西向き。境内の正面入口は八幡堀の南側の、橋と車道に面した場所にあります。

右側の社号標は「日牟礼八幡宮」。

 

一の鳥居は木造明神鳥居。南東向きです。扁額は「八幡宮」。

1616年(元和二年)建立*1。八幡大工・高木作右衛門も造営に関わったようです。江戸時代に何度か修理を受け、1966年の修理で現在の状態となりました。

滋賀県指定有形文化財。

 

日牟禮八幡宮とはあまり関係のない施設ですが、一の鳥居の向かいには白雲館という擬洋風建築があります。

1877年竣工。国登録有形文化財。

当地の住民や商人によって、学校の校舎として造られたもの。高木作右衛門による設計・施工とのこと。のちに役所や銀行として利用され、1994年の修理で当初の姿に復元されました。

現在は観光案内所として利用され、内部を見学することもできます。

 

一の鳥居をくぐると白雲橋があり、橋の上から八幡堀を見下ろすことができます。

八幡堀は、桃山時代に近江八幡を領した豊臣秀次(羽柴秀次)によって、1585年に造られた運河です。秀次が粛清されたあとも当地は商人の町として栄え、近現代に入っても八幡堀は終戦のころまで運河として使用されていたようです。

八幡堀や、日牟禮八幡宮をふくむ周辺の市街地は、重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)となっています。

 

楼門

一の鳥居と白雲橋を通って駐車場の区画を進むと、境内中心部の入口に楼門が鎮座しています。南西向きです。

三間一戸、楼門、入母屋、銅板葺。

1858年(安政五年)再建。1970年に祭礼時の失火で上層を焼失し、1971年の修理で現在の姿になりました。

公式サイトによると、当初の楼門は1359年(延文四年)に佐々木六角氏の寄進で建立されたとのこと。また、信憑性には疑問符がつきますが、かつての楼門には左甚五郎の彫刻が配されていたらしいです。

 

下層中央の柱間は虹梁でつながれています。虹梁両端は、下側に木鼻と斗栱が添えられています。

虹梁の上には、波に亀の彫刻。

 

内部の通路上の端には、大きな獏の彫刻が置かれています。

垂れ幕の紋は、左から、三葉葵、菊、三つ巴。

 

下層向かって左側の柱間。

柱はいずれも円柱で、頭貫には唐獅子の木鼻があります。

柱上の組物は二手先。

頭貫の上の中備えは、亀に乗った仙人の彫刻。

 

右側面(南東面)。

側面は2間で、こちらも中備えに彫刻の入った蟇股が使われています。

 

柱間は貫で連結され、側面には火灯窓が設けられています。

腰壁は、なまこ壁のような菱型の意匠となっています。

 

上層正面。扁額は「八幡宮」。

軒裏は平行の二軒繁垂木。

欄干の影になってほとんど見えないですが、母屋の柱間は中央が板戸、左右は連子窓です。

 

左側。

軸部は長押と頭貫で固められ、頭貫には波の意匠の木鼻がついています。

組物は尾垂木三手先。

 

中備えは蓑束。

蓑束の上では、肘木と組物を組み合わせた双斗(二つ斗)が使われています。

 

内部の通路部分は鏡天井が張られています。

 

背面全体図。

 

下層の左右の柱間には、木造の狛犬が置かれていました。

 

手水舎と能舞台

楼門をくぐると、左手に手水舎があります。

入母屋、銅板葺。

1858年再建。手水鉢には寛文九年(1669年)の銘があるようです。

 

柱は面取り角柱。頭貫に木鼻はありません。柱上は舟肘木。

貫の上の中備えは蟇股。

内部は格天井で、軒裏は放射状の一重まばら垂木。

 

楼門左手、手水舎と反対の方向には能舞台。

入母屋(妻入)、桟瓦葺。

1899年建立。

 

入母屋破風には木連格子が張られています。

破風板の拝みには猪目懸魚。左右の鰭は菊の花の意匠です。

 

境内周辺の史跡や楼門については以上。

後編では拝殿、本殿、境内社について述べます。

*1:棟札より