甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【京都市】常寂光寺

今回は京都府京都市の常寂光寺(じょうじゃっこうじ)について。

 

常寂光寺は市街地西端の小倉山のふもとに鎮座する日蓮宗の寺院です。山号は小倉山。

鎌倉初期、当地には藤原定家の山荘があり、ここで小倉百人一首が編纂されたと言われます。常寂光寺の創建は1596年(文禄五年)で、本圀寺の日禎によって開山されました。その後、小早川秀秋*1の寄進で境内伽藍が整備されています。江戸中期には天皇家の崇敬を受けたようで、多宝塔の扁額は霊元上皇の宸筆です。

現在の境内伽藍は江戸前期に整備されたもので、多宝塔が国の重要文化財となっています。当地は藤原定家の山荘があっただけでなく、風光明媚な紅葉の名所としても知られ、当地の紅葉を詠んだ和歌が小倉百人一首に選定されています。

 

現地情報

所在地 〒616-8397京都府京都市右京区嵯峨小倉山小倉町3(地図)
アクセス 嵯峨嵐山駅から徒歩15分
沓掛ICから車で25分
駐車場 10台(無料)
営業時間 09:00-17:00(受付は16:30まで)
入場料 500円
寺務所 あり
公式サイト 常寂光寺
所要時間 30分程度

 

境内

仁王門など

常寂光寺の境内は東向き。周辺は市街と野山の中間地といった雰囲気。

境内入口には山門が立ち、これより先は有料(500円)の区画となります。

 

山門は、一間一戸、高麗門、切妻、桟瓦葺。

造営年不明。江戸後期の改築とのこと。

山門の扁額は「常寂光寺」。

 

向かって右の柱。

高麗門なので、後方に向けて低い切妻屋根がかかっています。

 

参道左手には土蔵と休憩所。

 

参道の先には仁王門。訪問時は屋根の吹き替え工事中でした。

三間一戸、八脚門、寄棟、茅葺。

貞和年間(1345-1350)造営、1616年(元和二年)移築。当初(移築前)は本圀寺客殿の南門として使われていたとのこと。当初の姿をどこまでとどめているかは不明。文化財指定はとくにないようです。

 

内部。

主柱は円柱が使われています。門扉は板戸。

 

前方の柱は面取り角柱。面幅の広さから推察するに、ここは江戸初期の移築時のものかと思います。

 

屋根を背面側から俯瞰した図。

整然とした台形の寄棟屋根です。

 

本堂

仁王門をくぐって階段を上った先には、本堂が鎮座しています。

寄棟、本瓦葺。錣葺。

慶長年間(1596-1615)の造営、1932年改修。当初は伏見桃山城の客殿として建てられ、小早川秀秋によって当寺の本堂として移築されたもの。

 

向拝はありません。

正面中央には3組の桟唐戸が設けられ、戸の内側は蔀戸。

扁額は判読できず。

 

母屋の周囲1間は吹き放ちの空間で、鏡天井が張られています。

軒裏は一重まばら垂木。

 

左側面(南面)。

側面の柱間は、舞良戸が使われています。

 

本堂近辺からの眺望。

京都市街の北西部を望むことができ、遠くに双ヶ岡が見えます。左奥の山はおそらく比叡山。

 

鐘楼

本堂向かって右(北)には鐘楼。

切妻、本瓦葺。

梵鐘は太平洋戦争で供出され、現在の梵鐘は戦後の鋳造です。

 

柱は上端が絞られた円柱。頭貫には木鼻。

組物は、大斗と花肘木を組んだもの。

 

頭貫の上の中備えは蟇股。

妻飾りは虹梁と大瓶束。

破風板の拝みには、雲状の鰭がついた蕪懸魚。

 

妙見菩薩

本堂向かって左には、「妙見菩薩」なる鎮守社があります。入口には石造明神鳥居。

鳥居の先にある拝殿は、入母屋(妻入)、桟瓦葺。

 

拝殿の扁額は「妙見宮」。

 

拝殿の後方には、本殿に相当する建物があります。扁額は「開運妙見宮」。

入母屋(妻入)、向拝1間、桟瓦葺。

内部には仏像が安置されていました。

 

多宝塔

妙見菩薩の脇を通って境内の奥へ進むと、多宝塔があります。

多宝塔への道は苔むした竹林に覆われ、幽玄な趣。竹林の中にはカエデの木も多く混じっており、紅葉の季節は壮麗な景色になるようです。

 

竹林の先には多宝塔が鎮座しています。

三間多宝塔、桧皮葺。全高12メートル。

1620年(元和六年)造営国指定重要文化財

 

下層は正面側面ともに3間。

柱間は、中央は板戸、左右は連子窓。

板戸の上の扁額は「並尊閣」。霊元上皇の宸筆とのこと。

 

左側面(南面)。

柱間や軒下の意匠は、正面と同じです。

 

縁側は切目縁。欄干は擬宝珠付き。

縁束は礎石の上に立てられ、母屋は亀腹の上に建てられています。

 

組物は木鼻のついた出組。

中備えは蟇股。こちら(南面)の蟇股の彫刻は、宝尽くし。

 

背面(西面)の蟇股。彫刻は、独鈷(金剛杵)の意匠。

 

母屋柱は上端が絞られた円柱。頭貫と台輪には禅宗様木鼻。

左右の柱間の中備えは、蟇股ではなく蓑束が使われています。

 

上層。

組物は尾垂木四手先。

軒裏は上層下層ともに平行の二軒繁垂木。

 

頂部の法輪。

四角い露盤に受花が乗り、その上には九輪。頂部は水煙のついた宝珠。

 

多宝塔の北には歌仙祠。

向唐破風、銅板葺。

内部には、藤原定家の像が収められているようです。

 

最後に、多宝塔の後方からの眺望。

ほか、境内の最奥部には展望台や時雨亭跡(藤原定家が小倉百人一首を編纂したとされる場所)があるようですが、山を登るのが億劫だったため割愛。

 

以上、常寂光寺でした。

(訪問日2023/02/22)

*1:豊臣秀吉の正室・高台院(通称ねね)の甥で、秀吉や小早川隆景の養子となった。関ヶ原の戦いで東軍に寝返ったことで著名。