今回は埼玉県さいたま市の調神社(つき-)について。
調神社は浦和区の市街地に鎮座しています。別名は調宮(つきのみや)。
創建は不明。社記『調宮縁起』(1668年)によると、第9代開化天皇の時代に創建されたとのこと。創建の経緯については諸説あるようです。平安時代の『延喜式』には「調神社」と記載され、式内社に列しています。室町初期には足利尊氏の命を受けた一色範行により社殿が造営されたようですが、1590年の小田原征伐の戦火で焼失しました。江戸時代には幕府の庇護を受け、『江戸名所図会』にも当社が掲載されており、小林一茶や平田篤胤など多くの文化人が参詣しています。
現在の境内は、市街地の中に深い社叢が茂り、主要な社殿は幕末のものです。境内に鎮座する稲荷神社は当社の旧本殿を移築したもので、市指定文化財。稲荷神社の社殿には色鮮やかな兎の彫刻が配されているほか、境内には駒兎があり、月や兎への信仰が見て取れます。
現地情報
所在地 | 〒330-0064埼玉県さいたま市浦和区岸町3-17-25(地図) |
アクセス | 浦和駅から徒歩10分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり(要予約) |
公式サイト | なし |
所要時間 | 15分程度 |
拝殿
調神社の境内は南向き。
こちらは境内西側にある入口で、入口に鳥居はありません。一説によると、朝廷への貢物を納める倉庫が当社の前身で、荷物の運搬の際の障害になるため鳥居を設けなかったらしいです。
参道の左右には、狛犬ならぬ狛兎。
右奥の社号標は「縣社 延喜式内 調神社」。
参道右手、境内の南西へはずれた場所に、手水舎があります。
切妻、銅板葺。
参道を進むと、南面する拝殿が現れます。
入母屋、正面千鳥破風付、向拝1間 軒唐破風付、瓦棒銅板葺。
1858年(安政五年)造営。
Wikipediaによると権現造らしいですが、拝殿後方にはまわり込めず、幣殿や本殿などを確認することはできませんでした。
向拝柱は几帳面取り。
柱上の組物は、出三斗を2つ並べて拡張したもの。
柱の側面には唐獅子の木鼻。見返り唐獅子で、牡丹の花を口にくわえています。
虹梁中備えは竜の彫刻。江戸後期らしいリアルな造形。
暗くて見づらいですが、竜の上にも何らかの故事を題材にした彫刻があります。
拝殿のはす向かいには神楽殿。
入母屋、銅板葺。
神楽殿の近くには、境内社(天神社)や狛兎があります。
天神社は、切妻、向拝1間、銅板葺。
稲荷神社(旧本殿)
拝殿の東側には池があり、池をはさんだ境内東端に稲荷神社があります。
入口には木造両部鳥居。
参道の先には稲荷神社本殿が鎮座しています。覆い屋がかかっていますが、壁面はアクリル板のため、内部を観察することができます。
稲荷神社本殿は、一間社流造、こけら葺。
1733年(享保十八年)造営*1。市指定有形文化財。
幕末に現在の拝殿や本殿が造られるまで、調神社の本殿として使われていた建物。当初はこけら葺きで、後世の改修で銅板葺となり、平成時代の修理でこけら葺きに復元されたようです。
向拝柱は几帳面取り。面取り部分が赤く塗り分けられています。
柱の正面には唐獅子、側面には獏の木鼻。
柱上の組物は、出三斗を2つ並べたもの。
虹梁中備えは蟇股。はらわたの彫刻は波に兎。因幡の白兎でしょうか。
その上の唐破風の小壁にも、波に兎の彫刻。こちらの兎は、金色に彩色されています。
向拝の下には、角材の階段が5段。
階段の下には浜床が張られています。
母屋の正面は板戸。派手な飾り金具がついています。
扉の左右にも極彩色の彫刻。右は昇り竜、左は降り竜です。
母屋柱は円柱。軸部は長押と貫で固定され、頭貫には象頭の木鼻。
ぼやけていて見づらいですが、中備えには彩色された蟇股があります。
ほか、妻飾りには唐破風の部分のものと似た「波に兎」の彫刻がありましたが、まともな写真が撮れなかったため割愛。
以上、調神社でした。
(訪問日2022/11/20)
*1:附指定されている木札の銘より