甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【犬山市】三光稲荷神社と針綱神社(犬山城)

今回は愛知県犬山市の三光稲荷神社針綱神社について。

 

三光稲荷神社

所在地:〒484-0082愛知県犬山市犬山北古券65ー18(地図)

 

三光稲荷神社(さんこういなり-)は犬山城の南側に鎮座しています。

創建は不明。室町後期は織田氏の崇敬を受け、江戸時代は城主の成瀬氏の崇敬を受けました。当初は三光山(現在地の南西100メートルほどの位置)に鎮座しており三光寺とも呼ばれたようですが、明治初期の神仏分離によって現在の社号となり、1964年に現在地へ移転しました。

 

境内

三光稲荷神社の境内は南向き。入口は犬山城の駐車場に面しており、すぐ北側に犬山城があります。

入口には赤い神明鳥居。

 

参道右手には手水舎があります。

切妻、銅板葺。

木鼻や蟇股などの意匠が使われています。

 

拝殿は、入母屋、向拝1間 入母屋(妻入)、銅板葺。

 

向拝柱は几帳面取り角柱。正面と側面に木鼻がつき、柱上は連三斗。

虹梁には渦状の雲が彫られ、中備えは蟇股。

 

本殿は、一間社流造、銅板葺。

向拝柱は几帳面取り角柱で、柱上には連三斗を発展させた二手先の組物が使われています。

海老虹梁は竜の彫刻となっており、母屋の頭貫の位置に取りついています。

母屋柱は円柱。台輪の上の中備えに彫刻があり、鳥獣が彫られています。柱上の組物は尾垂木二手先。

 

三光稲荷神社拝殿の手前(南西)には、境内社の猿田彦神社。

入口には石造明神鳥居が立ち、社殿の内部に本殿らしき扉が見えます。

垂れ幕の紋は、織田木瓜の中央を梅鉢に置き換えたような図案です。

 

三光稲荷神社拝殿の右手(東)にも、稲荷社と思しき境内社があります。

 

本殿は、一間社流造、銅板葺。

頭貫や妻虹梁のあいだの欄間に板や中備えがなく、吹き放たれているのが独特です。

 

以上、三光稲荷神社でした。

 

針綱神社

所在地:〒484-0082愛知県犬山市犬山北古券65-1(地図)

 

針綱神社(はりつな-)は犬山城の南側に三光稲荷神社と並立して鎮座しています。

創建は不明。平安時代の『延喜式』に当社の記載があり、その頃には確立されていたと思われます。中世の沿革は不明ですが当初は犬山城天守付近に鎮座しており、室町後期に織田信康が犬山城を築城するにあたり、当社は1537年に同市の白山平に移されました。1606年には小笠原吉次によって犬山城下に移され、1882年に現在地へ移転しました。

 

境内

針綱神社の境内は南向き。三光稲荷神社と同様に犬山城駐車場の通路に面しています。

入口には石造明神鳥居。扁額は「針綱神社」。

 

鳥居の先には石造の太鼓橋があります。通行はできず、左右の脇を通って進むことになります。

橋の側面には束と笈形、欄干には蟇股のような意匠があります。

 

参道左手には手水舎。

切妻、銅板葺。

頭貫には木鼻がつき、中備えは板蟇股。柱上は大斗と舟肘木を組んだものが使われています。

 

参道をそれて境内東側の区画へ進むと、多数の摂社末社が並立しています。社殿はいずれも流造です。

 

二の鳥居は石造明神鳥居。扁額は「針綱神社」。

 

三の鳥居は石造神明鳥居。

鳥居の左手には針綱天満宮が南面しています。

 

三の鳥居の先には拝殿。

入母屋(妻入)、向拝1間、銅板葺。

 

拝殿の後方には石塀に囲われた本殿が鎮座しています。

神明造、銅板葺。

棟持柱、鞭掛、棟覆板、千木、鰹木、といった神明造の意匠が使われています。千木は屋根から突き出ていて、先端は垂直に切られています。大棟の棟覆板が妙に長く突き出ているのが独特です。

 

針綱神社や三光稲荷神社とは別の管轄かと思いますが、両社の境内裏には犬山城天守が鎮座しています。おそらく針綱神社と三光稲荷神社の境内も、かつては犬山城の縄張りの一部だったのでしょう。

犬山城天守は1601年(慶長六年)造営。国宝。

きわめて貴重な桃山時代の城郭建築で、現存天守の中でも最古級の遺構とされます*1。国内に5棟ある国宝天守のひとつです。

 

以上、針綱神社でした。

(訪問日2024/04/27)

*1:丸岡城を現存最古の天守とする説もある