甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【長野市】西方寺

今回は長野県長野市の西方寺(さいほうじ)について。

 

西方寺は善光寺表参道の沿線に鎮座する浄土宗の寺院です。山号は安養山。

創建は不明。807年(大同二年)に空海が開いたとされる宝乗寺が前身。寺伝によると1199年(正治元年)に法然が善光寺を訪れ、その孫弟子の記主が当寺を浄土宗に改宗し、善導寺と号したのがはじまりとのこと。

当初は往生院(同市権堂町)にあったようですが、1504年(応永元年)に現在地へ移転しました。川中島の戦いののち、現在の寺号となったようです。その後は、善光寺で火災があった際に仮本堂とされたり、明治時代には長野県庁の仮庁舎として使用されたりしています。

現在の境内は江戸中期のもので、本瓦葺の大規模な本堂が現存しています。

 

現地情報

所在地 〒380-0842 長野県長野市長野西町1019(地図)
アクセス 権堂駅から徒歩10分
長野ICまたは須坂長野東ICから車で20分
駐車場 なし
営業時間 随時
入場料 無料
寺務所 あり(要予約)
公式サイト なし
所要時間 10分程度

 

境内

山門

西方寺の境内は西向き。浄土教の寺院のため、西方を拝む向きとなっています。

境内は善光寺門前の市街地にあり、表参道に面した好立地。善光寺参りのついでに立ち寄れます。訪問時は善光寺御開帳の期間でした。

 

山門は、一間一戸、薬医門、切妻、本瓦葺。

 

冠木の上からは腕木が突き出ていて、先端は木鼻になっています。

 

扁額は山号「安養山」。

正面に突き出た腕木のあいだには、豪快な竜の彫刻が配されています。金網がかかっていて見づらいのが惜しいです。

 

左側面(南面)。

見づらいですが妻飾りは笈形付き大瓶束。

破風板の拝みには懸魚が下がり、両脇の鰭は唐草の意匠。桁隠しはありません。

大棟の鬼板には梵字があしらわれています。

 

鐘楼

山門をくぐると、左手に鐘楼があります。

入母屋、本瓦葺。

 

柱は几帳面取り角柱。内に転び(傾き)をつけて立てられています。

頭貫には木鼻がつき、柱上は台輪が通っています。

組物は出三斗。

 

台輪の上の中備えは木鼻のついた平三斗。

軒裏は二軒繁垂木。放射状にのびた扇垂木です。

内部は板の天井が張られています。

 

本堂

山門の先には大規模な本堂が鎮座しています。

桁行9間・梁間8間、入母屋、向拝3間、本瓦葺。

造営年不明。1778年(安永七年)の修理を記した棟札が残っていて*1、1700年代前半のものと思われます。

本尊は阿弥陀三尊。

 

向拝は3間。

軒下には彫刻が配されています。

 

向拝柱は几帳面取り角柱。

柱の正面には唐獅子、側面には獏の木鼻。

虹梁中備えには松や竜の彫刻がありますが、金網があって観察しづらいです。

 

向拝と母屋は、まっすぐな梁でつながれています。梁の下部は、唐獅子の彫刻で持ち送りされています。

梁の中央には大瓶束が立てられています。向拝側は小さい梁で手挟の位置につながり、母屋側は小さい海老虹梁で母屋の軒桁の位置に取り付いています。善光寺本堂とよく似た造り。

 

母屋前面は9間で、桟唐戸と火灯窓が使われています。

正面中央の扁額は「西方寺」。

 

側面は8間。

柱間は、舞良戸、桟唐戸、連子窓が使われています。

 

母屋柱は円柱。

頭貫には唐獅子の木鼻がつき、柱上には台輪が通っています。

柱上の組物は二手先。桁下には軒支輪。台輪の上の中備えは蟇股。

 

入母屋破風の妻飾りは二重虹梁で、大瓶束が3つ使われています。

破風板の拝みには鰭付きの懸魚。

鬼板や大棟には法輪が描かれています。

 

本堂の手前には「幸せの赤い回向柱」なるものがありました。

堂内には赤い回向柱があり、日本唯一のものとのこと。ダライ・ラマ法王が当寺を訪れた記念に立てられたらしいです。

 

参道右手(北側)には庫裏。

明治以降、師範学校や商業高校(長野商業のこと?)、労働基準局などがこの建物を利用していたとのこと*2

 

以上、西方寺でした。

(訪問日2022/05/12)

*1:西方寺公式サイトより。2022/08/03閲覧。

*2:境内案内板より。