甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【長野市】善光寺 その1 仁王門と釈迦堂

今回は長野県長野市の善光寺(ぜんこうじ)について。

 

善光寺は長野市街の北端に鎮座する無宗派の寺院です。山号は定額山。

創建は寺伝によると飛鳥時代。麻績(現在の飯田市座光寺)の住人の本田善光が、難波の堀江(現在の大阪市)で捨てられていた仏像を拾って持ち帰り、勅命を受けて現在地に祀ったのがはじまりとされます。仏教が各宗派に分かれる前に創建されたため、当寺は無宗派となっています。

史料上では、8世紀に記された『伊呂波字類抄』に善光寺の縁起が書かれており、奈良時代か平安初期には確立されていたようです。平安末期には火災で伽藍を焼失しますが、鎌倉初期に源頼朝や比企能員らの命で再建されています。

室町時代から安土桃山時代には、川中島の戦いなどの戦乱で荒廃しました。本尊の善光寺如来は各地を転々とし、武田氏によって甲斐善光寺(甲府市)に移され、織田氏によって伊奈波善光寺(岐阜市)や甚目寺(愛知県あま市)に移され、豊臣秀吉によって方広寺(京都市)に移されたのち、1598年(慶長三年)に当寺に返還されました。

江戸初期にも伽藍を焼失しますが、江戸中期に幕府や松代藩(真田氏)によって現在の伽藍が再建されています。

 

広大な境内には多数の伽藍が並び、本堂が国宝、山門と経蔵が国指定重要文化財となっています。とくに本堂は撞木造という特異な様式で造られているだけでなく、国内でも五指に入る規模を誇る木造建築です。また、秘仏の本尊(善光寺如来)は、国内最古の仏像といわれています。

 

当記事ではアクセス情報および仁王門と釈迦堂について述べます。

山門と経蔵については「その2」を、

本堂については「その3」を、

鐘楼、忠霊殿などについては「その4」をご参照ください。

 

現地情報  

所在地 〒380-0851長野県長野市元善町491(地図)
アクセス 善光寺下駅から徒歩15分、または長野駅からバスで15分
長野ICから車で30分
駐車場 200台(1時間200~300円)
営業時間 境内は随時
拝観(内陣・戒壇巡り)は夏季04:30頃-16:00、冬季06:00頃-16:00
入場料 境内は無料、本堂の内陣と戒壇巡りは500円(善光寺資料館と共通)
寺務所 あり
公式サイト 信州善光寺公式ホームページ
所要時間 1.5時間程度

 

仁王門

善光寺の境内は南向き。

表参道と呼ばれる通りが長野駅付近から伸びていて、それに沿って北へ1キロメートル弱ほど進むと、上の写真の善光寺交差点に至ります。ここから先は歩行者専用道路となっています。

 

入口の善光寺交差点から50メートルほど進むと、仁王門があります。

三間一戸、切妻、八脚門、正面背面軒唐破風付、銅板葺。

1918年(大正七年)再建。国登録有形文化財。

 

屋根葺きは、案内場*1には“銅瓦葺”とありましたが、現状は銅板葺です。

仁王門の手前左側には大本願(善光寺の主要な塔頭)がありますが、そちらは当該記事で紹介するため、ここでは割愛いたします。

 

正面中央。通路の部分の軒下

扁額は山号「定額山」。伏見宮貞愛親王の揮毫とのこと。

虹梁の両端の下部は、菊の彫刻で持ち送りされています。虹梁のうえでは大斗と木鼻を組み合わせた部材が2つ置かれ、頭貫を受けています。

 

破風板の兎毛通は猪目懸魚。卍がついています。

扁額と金網で見づらいですが、唐破風の小壁には笈形付き大瓶束。

 

左右の柱間には仁王像。向かって左が阿形、右が吽形。

高村光雲と米原雲海の合作とのこと。

 

柱は円柱が使われています。

飛貫虹梁の木鼻(写真下端)は、正面が唐獅子、側面が獏。

ハト除けのトゲや金網がつき、軒下が見づらいです。文化財保護のためとはいえ残念。

 

頭貫木鼻は、正面側面ともに唐獅子。

柱上には台輪が通り、組物は出組。中備えは蟇股。

 

右側面(東面)。

屋根は切妻。破風板の拝みには三花懸魚。善光寺の紋(右離れ立ち葵)と卍が彫られています。

壁面は横板壁。

 

妻飾りは二重虹梁になっています。

大虹梁の上には2つの大瓶束が立てられています。中央には彫刻が見えますが、題材がよく解りません。

二重虹梁の上では、笈形付き大瓶束が棟木を受けています。

 

背面。こちらにも軒唐破風がついています。

 

背面の左右の柱間には連子窓。

内部には三宝神と大黒天の像があり、こちらも高村光雲と米原雲海の作。

 

内部の通路部分。

木鼻と斗を使った持ち送りや、梁の中央の笈形付き大瓶束、頭貫と台輪の上の蟇股などが観察できます。

 

仁王門の先は、土産物屋や飲食店が立ち並ぶ仲見世。奥には山門が見えます。

 

釈迦堂(世尊院)

仲見世の途中で右手(東)に折れる路地があります。路地を進むと、その先に釈迦堂が西面しています。釈迦堂は世尊院という塔頭の伽藍のようです。

釈迦堂は、入母屋(妻入)、向拝1間 軒唐破風付、桟瓦葺。

造営年不明。戦後の再建と思われます。

 

堂内に安置されている銅造釈迦涅槃像は鎌倉末期頃のものと推定され、国重文

釈迦の入滅時の伝説になぞらえ、頭を北(向かって左側)に向け、顔は西を向いた姿で横たえられています。全長1.66メートルで等身大の人に近いサイズで、涅槃像でこれほど大きいものはめずらしいとのこと。

なお、堂内の涅槃像は秘仏で、善光寺御開帳の期間のみ一般公開されます。

 

柱などの部材は極彩色で塗り分けられ、安土桃山風の外観。

向拝柱は几帳面取りで、上端は青や金色で複雑に彩色されています。側面には金色の見返り唐獅子。

柱上の組物は出三斗で、隣の出三斗と肘木を共有しています。

 

虹梁は金色で、両端の眉欠きは菱形のパターンで彩色されています。

中備えには竜の彫刻。

唐破風の小壁には金色の大瓶束が立てられ、その左右には牡丹と思しき花が描かれています。

 

母屋柱は角柱。

頭貫は菱形の紋様で彩色され、木鼻は象鼻。

台輪の上の木鼻は出三斗。

 

破風板の拝みは猪目懸魚。

奥まっていて見づらいですが、入母屋破風には妻虹梁と大瓶束が使われています。

 

仁王門と釈迦堂については以上。

その2では山門と経蔵について述べます。

*1:善光寺による設置と思われる。