甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【長野市】秋葉神社(権堂町)と往生院

今回は長野市権堂町(ごんどうちょう)の秋葉神社往生院について。

 

秋葉神社(権堂町)

所在地:〒380-0907長野県長野市鶴賀権堂町2231(地図)

 

秋葉神社(あきば-)は権堂商店街の東側に鎮座しています。

創建は不明。当初は往生院(後述)の境内にあったようです。江戸後期の善光寺地震で社殿を焼失し、1855年に裏権堂通りに移転したようです。1894年、遊郭の道路工事にともなって現在地へ移転し、1897年に拝殿が造営されました。

 

境内

秋葉神社の境内は南向き。境内は権堂駅の地下から出てすぐの場所にあります。

右は県内ローカルのスーパー、綿半。数年前まではイトーヨーカ堂でした。

入口には神明鳥居が立ち、参道右手に手水舎があります。

 

手水舎は、切妻、銅板葺。

柱は几帳面取り角柱。木鼻はありませんが、台輪がまわされています。

梁の上の妻壁は木連格子。切妻の妻面に木連格子を張るのはめずらしいと思います。

 

二の鳥居も明神鳥居です。

 

鳥居の先の拝殿は、入母屋、桟瓦葺。

遊郭の寄進により1897年(明治三十年)5月に竣工されたもの。権堂駅の東側は、かつて赤線の区域だったようです。

 

左側面(西面)。

柱は角柱。軒裏は二軒の半繁垂木。

 

拝殿の後方には本殿の覆い屋があります。

内部の本殿を見ることはできません。

 

秋葉神社の本殿覆いの後方には、四条霊社(四條靈社)。

石造明神鳥居が立ち、その奥に拝殿と本殿があります。

拝殿は、入母屋、銅板葺。

 

拝殿の柱は角柱。柱上は実肘木。

扁額の下の虹梁は、唐草の絵様が彫られています。

 

拝殿の奥には、鉄骨と波板の屋根に覆われた四条霊社本殿が鎮座しています。

一間社流造、正面千鳥破風付、向拝1間 軒唐破風付、銅板葺。

造営年不明。

 

向拝柱は几帳面取り。側面に見返り唐獅子の木鼻があります。

組物は出三斗を左右に並べたものが使われています。

海老虹梁には絵様が彫られ、母屋の頭貫の位置に取り付いています。

母屋柱は円柱。正面には桟唐戸。

 

母屋の組物は出組。

妻虹梁の上には大瓶束。

破風板に懸魚はありません。

 

四条霊社本殿の左側(西)には、国定忠治の墓があります。

国定忠治(くにさだ ちゅうじ)は江戸後期に信州と上州の裏社会を支配した侠客・博徒。関所破りや殺人などの罪状で磔刑に処されますが、死後、演劇や映画の題材として人気を博したようです。ここには分骨が埋葬されているとのこと。

 

以上、秋葉神社でした。

 

往生院

所在地:〒380-0833長野県長野市鶴賀権堂町2321(地図)

 

往生院(おうじょういん)は権堂商店街の中央部に鎮座する浄土宗の寺院です。山号は蓮池山。

創建は寺伝によると1248年。鎌倉初期に法然が当地に草庵を建てて滞在し、法然の孫弟子の記主良忠が往生院を開いたとのこと。その後は衰微したようですが、1513年に誠誉によって再興されています。江戸時代は、善光寺が火災に遭ったとき当地に仮の本堂が置かれることがあったため、これが権堂*1の地名の由来といわれています。

往生院は善光寺七寺に数えられ、境内の宇賀弁財天社は善光寺七福神に数えられています。

 

境内

権堂駅から表参道(長野中央通り)に向かって商店街を進むと、建物の隙間に往生院の入口があります。境内は南向き。

往生院本堂は、入母屋(妻入)、桟瓦葺。

 

正面の入母屋破風。

妻虹梁の上には笈形付き大瓶束。

破風板の拝みには鰭付きの懸魚。

 

虹梁は絵様が彫られています。中備えや木鼻はありません。

奥の母屋の扁額は山号「蓮池山」。

 

向拝柱は几帳面取り角柱。柱の上端には長方形の切り欠きが見え、木鼻がついていた形跡があります。

組物は皿付きの出三斗。

向拝と母屋のあいだには海老虹梁がわたされています。

 

母屋柱は角柱。上部には頭貫と台輪が通っていますが、木鼻はありません。

組物は出三斗と平三斗。中備えはありません。

軒裏は一重の繁垂木。

 

本堂の左手(西)には、宇賀弁財天社があります。善光寺七福神の1柱に数えられます。

当初はこの近くにあった蓮池の神だったようですが、江戸時代は芸事の神として遊郭の人々から信仰されたとのこと。

立札には「信州最古 宇賀神大弁財天堂」とありますが、創建年や造営年の記述がなく、なにをもって“信州最古”と言っているのか解りません。

社殿は、一間社流造、正面千鳥破風付、向拝1間 軒唐破風付、銅板葺。

 

虹梁は波状の絵様が彫られ、中備えは彫刻が置かれています。彫刻は波に竜ですが、竜の顔の一部が扁額の影になってしまっています。

唐破風の小壁に掲げられた扁額は「権堂宇賀辨財天」。社名の表記は案内板によってまちまちで、表記ゆれが激しいです。

 

向拝柱の側面には見返り唐獅子。

組物は皿付きの出三斗を並べたもの。板状の手挟で軒裏を受けています。

海老虹梁は大きくS字にカーブし、母屋の頭貫の位置に取り付いています。

 

派手な向拝に対し、妻面は質素な造り。

組物は出三斗で、中備えはありません。妻飾りはシンプルな妻虹梁と大瓶束。

 

側面および背面は横板壁。

縁側は切目縁。脇障子にも彫刻の類はありません。

 

以上、往生院でした。

(訪問日2023/05/12)

*1:権(ごん)は、仮、副、という意味がある