甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【弘前市】熊野奥照神社

今回は青森県弘前市の熊野奥照神社(くまの おくてる-)について。

 

熊野奥照神社は弘前八幡宮の南に鎮座しています。

創建は不明。社伝によると当初は奥尾崎*1という場所に鎮座し、788年に現在の弘前市近辺に遷座したとのこと。807年(大同ニ年)には、坂上田村麻呂が蝦夷討伐の折に当社で戦勝祈願をしたようです。その後の沿革は不明ですが、同市の熊野宮(茜町)や熊野神社(門外)とともに、熊野三所権現を摸して祀られたようです。江戸時代初期には弘前藩2代・津軽信枚の寄進で現在の本殿が再建されました。

現在の境内社殿は江戸初期以降のもので、本殿は国重文に指定されています。また、当社が所蔵している奈良時代の蕨手刀が青森県重宝に指定されています。

 

現地情報

所在地 〒036-8054青森県弘前市田町4-1-1(地図)
アクセス 弘前駅または撫牛子駅から徒歩30分
大鰐弘前ICまたは黒石ICから車で20分
駐車場 5台(無料)
営業時間 随時
入場料 無料
社務所 あり(要予約)
公式サイト なし
所要時間 15分程度

 

境内

参道

熊野奥照神社の境内は西向き。めずらしい方角を向いています。

境内は住宅地の一画にあり、入口から北へ100メートルほど行くと弘前八幡宮があります。

 

入口の鳥居は木造の両部鳥居。扁額は「熊野奥照神社」。

前後の控柱も内に傾けられています。笠木には板葺の屋根がついています。

 

参道右手には手水舎。

切妻、鉄板葺。

 

手水舎の向こうには、2つの末社が南面しています。

左は運輸区神社、右は稲荷神社。

 

参道右手には七福社。

内部には「無事かえる」の像が置かれていました。

 

拝殿

拝殿は、入母屋、向拝1間、鉄板葺。

 

向拝柱は几帳面取り角柱。柱上は平三斗。

虹梁中備えは間斗束。

 

本殿

拝殿の後方には塀に囲われた本殿が鎮座しています。

桁行3間・梁間2間、三間社流造、向拝3間、こけら葺。

棟札より1613年(慶長十八年)再建。国指定重要文化財*2

祭神はイザナミとイザナキ。

 

正面の軒先の向拝は3間。

 

向拝柱は角面取り。面幅はあまり大きくありません。

柱上の組物は出三斗と連三斗。

写真右の向拝柱の側面には木鼻が付き、巻斗を介して連三斗を持ち送りしています。

虹梁中備えは蟇股。はらわたの彫刻の題材は、判別できず。

 

向拝と母屋は、ゆるくカーブした海老虹梁でつながれています。

海老虹梁の向拝側は組物の上の手挟の位置、母屋側は長押よりだいぶ高い位置に取り付いており、下部を木鼻と巻斗で持ち送りされています。当社のすぐ近くにある東照宮本殿と似た技法です。

 

4本ある向拝柱のうち、内側の2本は海老虹梁の代わりに手挟がついています。

手挟には花が彫刻されていて、あまり立体的な造形ではないですが素朴で美しい意匠です。

 

母屋の前面には3組の扉が設けられています。

中央の扁額は「熊野宮」。

 

母屋柱は角柱。

柱上は舟肘木。中備えはありません。

妻飾りは豕扠首。

縁側は切目縁が3面にまわされ、欄干は跳高欄。背面側は脇障子を立ててふさいでいます。

 

背面も3間。

こちらも目立った意匠はありません。

 

破風板の拝みと桁隠しには蕪懸魚。

鋭く反った破風と、折れ曲がった箕甲の曲面が空に映えます。

 

以上、熊野奥照神社でした。

(訪問日2022/04/09)

*1:現在の中泊町小泊地区のあたりらしい。

*2:附 棟札5枚。造営と修理の記録が書かれている。