甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【弘前市】青森県護国神社と東照宮本殿

今回は青森県弘前市の青森県護国神社(あおもりけん ごこく-)と東照宮本殿(とうしょうぐう ほんでん)について。

 

青森県護国神社(弘前公園)

所在地:〒036-8356青森県弘前市下白銀町1-3(地図)

 

青森県護国神社(あおもりけん ごこく-)は弘前城内の弘前公園に鎮座しています。

創建は1869年(明治二年)。函館戦争の慰霊のため創建されました。1910年に現在地に移築され、1939年に現在の護国神社という社号になりました。

 

境内

青森県護国神社の境内は南向き。弘前城天守の北側の区画の広場に面しています。

入口には銅板でカバーされた明神鳥居。

 

参道左手には手水舎。

切妻、銅板葺。

 

柱は角柱で頭貫には拳鼻。

妻飾りは豕扠首。

破風板の拝み懸魚は、猪目懸魚と蕪懸魚の中間的な意匠。

 

拝殿は入母屋、向拝3間、銅板葺。

 

向拝柱は几帳面取り角柱。前面と側面に拳鼻。

柱上は出三斗と手挟。

向拝と母屋のあいだには海老虹梁がわたされています。

 

向拝の虹梁の上には台輪が通り、中備えには唐獅子の彫刻が入っています。

ここに台輪を使うのは風変わりというか、あまり神社らしくない造り。

 

母屋の前面の建具は桟唐戸と蔀戸。

母屋柱は角柱。長押が多用されていますが、柱の上部には頭貫と台輪が通り、台輪にまで木鼻がついています。

柱上は舟肘木。古式の神社建築を意識したと思しき意匠ですが、木鼻や桟唐戸といった寺院風の意匠とはあまり調和していないと思います。

 

拝殿向かって右には神楽殿らしき社殿。

入母屋(妻入)、銅板葺。

 

目立った意匠はありませんが、軒まわりがおもしろい造りになっています。

母屋から腕木と小天井を2回伸ばし、軒裏を受けています。このように腕木と小天井が二重になっているのは初めて見ました。

 

拝殿の後方には塀に囲われた本殿。

一間社流造、鉄板葺。

祭神は青森県出身の戦没者29,184人(柱)。

 

向拝柱は几帳面取り。

側面の木鼻は見返り竜。見返り唐獅子はときどき見かけますが、見返り竜はめずらしいです。また、造形も良いと思います。

虹梁は波状の唐草が浮き彫りになっていて、中備えの蟇股にある波の彫刻と連続するような意匠になっています。

 

母屋柱は円柱。

頭貫には拳鼻。柱上には台輪が通っています。

組物は出三斗。中備えは蟇股。

妻飾りは笈形付き大瓶束。

破風板の拝みは鰭付きの蕪懸魚。桁隠しにも小さな懸魚がついています。

 

以上、青森県護国神社でした。

 

東照宮本殿(弘前東照宮跡)

所在地:〒036-8342青森県弘前市笹森町38(地図)

 

東照宮本殿(とうしょうぐう ほんでん)は弘前城の東の住宅地に鎮座しています。

創建は1617年(元和三年)。弘前藩2代藩主・津軽信枚が、正室の満天姫(徳川家康の養女)の要請を受け、東照宮を勧請したのがはじまり。1628年に社殿が建立され、神宮寺(別当)が定められました。江戸時代には藩の直轄の神社であり、藩主によって社殿の造営や改修が行われ、篤く崇敬されていました。

明治初期には廃止の危機に瀕しましたが、1870年に神宮寺の薬王院と分離することで存続が決まりました。平成時代には過剰な投資により経営難におちいり、2012年破産。2015年に弘前市の所有となり、国重文の本殿をのぞいたすべての社殿が解体されています。祭神は黒石神社(青森県黒石市)に移され、現在は神社ではありません。

 

本殿

整然とした公園の中央に、本殿だけが鎮座しています。

拝殿はおろか、鳥居や社号標すらありません。経営破綻の際に競売にかけられた末、本殿以外のすべてが解体・破却され更地になった模様。

 

本殿は、桁行3間・梁間3間、入母屋(妻入)、向拝1間 軒唐破風付、こけら葺。

1628年(寛永五年)建立国指定重要文化財*1

入母屋(平入)の神社本殿は多くありますが、妻入の入母屋はめずらしいです。私の知る範囲だと、熊野神社(山梨県甲州市塩山)の本殿3棟しか例がありません。

 

祭神は東照権現(徳川家康)と天照大神でしたが、先述の理由で弘前市の所有となったことで、政教分離のため黒石神社に祭神が移されています。よって、現在この本殿に祭神は祀られていません

 

向拝柱は角面取り。側面に木鼻がついています。

柱上の組物は出三斗。

 

虹梁は無地の材が使われています。

中備えは出三斗と蟇股。出三斗は唐破風の腕木を受けています。蟇股の彫刻は植物が題材ですが、中央のものは破損しています。

唐破風の小壁にも蟇股が配されています。

破風板の兎毛通は、中央に三葉葵のような意匠、左右に渦状の雲の意匠がついています。

 

向拝の縋破風の桁隠しは蕪懸魚。

海老虹梁の向拝側は、組物の上から出ています。

 

海老虹梁の母屋側は、頭貫の位置に取り付いています。

母屋柱の長押の下には小さな木鼻が出ていて、皿斗を介して海老虹梁を持ち送りしています。あまり見かけないおもしろい技法です。

 

母屋の前面には3組の扉が設けられています。

柱は円柱。軸部は長押と貫で固定。頭貫には拳鼻。

柱上の組物は二手先。

 

側面は3間。

組物で持ち出された桁の下には軒支輪。

組物のあいだに中備えはありません。

軒裏は二軒繁垂木。

 

背面。

縁側は、切目縁が4面にまわされています。欄干は赤い跳高欄。

背面(写真左端)にも軒と垂木がまわされており、「隅木入り春日造」ではないことがわかります。

 

正面の入母屋破風。

破風板の拝みには蕪懸魚。

内部の妻飾りには蟇股や大瓶束が見えます。

 

背面の破風。

軒唐破風がない点をのぞくと、正面とほぼ同じ内容。

 

母屋の内部の様子については、“内陣と外陣に仕切られ、内陣は天井を格天井、床の前半を板張黒漆塗、後半を一段高く作って板畳としています”とのこと*2

 

以上、東照宮本殿でした。

(訪問日2022/04/09)

*1:附 棟札3枚。それぞれ1748年(延享五年)、1778年(安永七年)、1792年(寛政四年)の修理の際のもの。

*2:境内案内板(平成二十八年三月 弘前市教育委員会)より引用。