今回は奈良県奈良市の漢國神社(かんごう-)について。
漢國神社(漢国神社)は奈良市街の中心部に鎮座しています。
創建は社伝によると593年(推古天皇元年)。当初は園韓神社などと称していたようで、藤原氏の崇敬を受けて、平安京にも分霊されたとのこと。1181年の南都焼討では、社殿を焼失したようです。江戸時代には徳川家康の寄進を受け、社殿を修理しました。
現在の本殿は安土桃山時代に造られ、江戸初期に修理を受けたもの。県指定文化財となっています。また、境内社の林神社(りん-)は饅頭の神で、菓子・食品業界から信仰されているようです。
現地情報
所在地 | 〒630-8242奈良県奈良市漢国町2(地図) |
アクセス | 近鉄奈良駅から徒歩2分 木津ICから車で15分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり(要予約) |
公式サイト | 漢國神社 |
所要時間 | 10分程度 |
境内
参道
漢國神社の境内は東向き。境内は市街地の一角にあり、すぐ北には近鉄奈良駅があります。
入口には明神鳥居が立ち、扁額は「漢國神社」。
向かって右の社号標は「縣社漢國神社」、左の社号標は「饅頭の祖神 林神社」。
鳥居の先には高麗門。
一間一戸、高麗門、本瓦葺。
内部の梁の様子。
梁の中央に束を立て、前後に腕木を伸ばして桁を支えています。
高麗門の先には二の鳥居。
明神鳥居で、扁額はありません。笠木と貫が左右に長く、ちょっと変わったバランス。
手水舎と拝殿
参道左手には手水舎。
切妻、桟瓦葺。
特に目立った意匠はありませんが、木鼻が使われています。
境内の最奥部には拝殿と本殿。写真は拝殿の部分。
拝殿は、切妻(妻入)、檜皮葺。
私の観察だと、切妻(妻入)の拝殿は当地ではあまり見かけず、どちらかといえば名古屋周辺に多い形式だと思います。
また、床を張らずに土間を採用するのは、神社の社殿では少しめずらしいです。
虹梁には唐草が彫られ、妻飾りは板蟇股。
破風板の拝みには鰭付きの蕪懸魚。
板蟇股と、破風板拝みの金具には松皮菱の紋。
柱は角柱で、柱上は舟肘木。中備えはありません。
前後に長い平面をしており、拝殿というよりも幣殿のような形式をしています。
写真右奥は本殿。屋根は拝殿と一体化しています。
本殿
拝殿の後方には透かし塀に囲われた本殿が鎮座しています。
桁行3間・梁間1間、三間社流造、向拝1間、檜皮葺。
安土桃山時代の造営、1610年(慶長十五年)改修。県指定有形文化財。
祭神は大物主、大国主、スクナビコナ。
正面の向拝部分。正面は拝殿と塀に阻まれ、詳細な観察は難しいです。
向拝は1間で、柱は角面取り。
木鼻は獣頭のようなシルエットのものが使われています。虹梁の中備えは蟇股らしき部材がわずかに覗いて見えます。
柱上は出三斗。木鼻の上に皿斗が載り、組物を持ち送りしています。
向拝の各部材は彩色されていた痕跡が見られます。境内案内板には“要所を極彩色に塗装した美しい建物”とあり、当初は安土桃山風の華やかな彩色で塗り分けられていたのでしょう。
母屋柱は円柱。柱上は舟肘木。
母屋前面はいずれの柱間もすだれがおりていて、3間すべてが神座になっているようです。
側面および背面。
軸部は長押で固定され、頭貫木鼻はありません。また、中備えもありません。
縁側は側面・背面にはまわされておらず、脇障子も全面側にありました。
妻飾りは古風な豕扠首。
破風板の拝みと桁隠しには猪目懸魚。
本殿を囲う透かし塀の欄間には、彫刻が入っています。
山鳥と思しき鳥が彫られています。
境内社
本殿右手(北側)には源九郎稲荷神社。
手前の明神鳥居は、笠木と貫が短く、寸詰まりな印象。
社殿は一間社春日造、銅板葺。
軒下。
縋破風の桁隠しには猪目懸魚。
源九郎稲荷神社の近く、境内北端には林神社(りん-)。狛犬のかわりに、石造の鏡餅が左右に控えています。
社殿は一間社流造、銅板葺。
主祭神は林浄因(りん じょういん)。現在の浙江省寧波市の出身で、南北朝時代に来日し、日本国内で初めての饅頭を作ったといわれます。
また、1978年には菓子と柑橘類の神である田道間守(たじまもり)が合祀されています。
ほかにも境内にはいくつか摂社・末社があります。
写真左の社殿は二間社神明造、銅板葺。神座が2つある(二間社)のは、少しめずらしいです。
右奥の社殿は、一間社春日造、本瓦葺。神社本殿で本瓦葺が採用されるのも、少しめずらしいです。
以上、漢國神社でした。
(訪問日2022/02/23)