甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【河内長野市】烏帽子形八幡神社

今回は大阪府河内長野市の烏帽子形八幡神社(えぼしがた はちまん-)について。

 

烏帽子形八幡神社は市街地南側の烏帽子形公園のある丘陵に鎮座しています。

創建は不明。社伝によると南北朝時代で、楠木正成の築城した烏帽子形城の鎮守として祭祀されたのが始まりとのこと。室町中期に現在の本殿が造営されていますが、その後は荒廃しています。江戸初期には、当地の領主・甲斐庄正保が四天王寺(大阪市)の普請奉行をつとめ、その工事の残材を利用して当社の荒廃した社殿を修理しています。

現在の本殿は室町時代の建立当初のもので、修理による改変もあったようですが当初の形式が復原・維持され、国重文に指定されています。

 

現地情報

所在地 〒586-0033大阪府河内長野市喜多町305(地図)
アクセス 河内長野駅または三日市町駅から徒歩15分
岸和田和泉ICから車で25分
駐車場 3台(無料)
営業時間 随時
入場料 無料
社務所 あり(要予約)
公式サイト なし
所要時間 20分程度

 

境内

参道

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烏帽子形八幡神社の境内は東向き。周辺は住宅地ですが、神社は小高い丘の中腹に鎮座しています。

入口の手前を通る道は、京・大阪・堺と高野山をむすぶ高野街道で、かつて当地は交通の要衝だったとのこと。高野街道は複数の起点があるようですが、河内長野駅近辺で合流し1本に収束するようです。鳥居向かって左(南)が紀見峠・高野山方面、右(北)が河内長野駅・京阪方面。

 

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参道右手には恵比寿神社が南面しています。

一間社流造、銅板葺。

 

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虹梁中備えには竜の彫刻。

向拝柱は几帳面取りで、側面に唐獅子の彫刻。

 

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壁面は板壁になっていますが、脇障子の羽目には蔓状の植物の彫刻があります。

 

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台輪の上の中備えは、麒麟の彫刻。

妻飾りは笈形付き大瓶束。

 

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破風板の拝みには鰭付きの蕪懸魚。桁隠しにも雲状の彫刻があります。

鬼板や大棟の紋は三つ柏でした。

 

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参道の先には割拝殿と休憩所を兼ねたような社殿があり、これをくぐると境内の中心部に至ります。

 

本殿

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境内の中心部には、中門と瑞垣に囲われた本殿が鎮座しています。

 

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中門は一間一戸、切妻、銅板葺。

四脚門でも薬医門でもない形式で、どう呼んだらいいかわかりません...

しめ縄のかかった虹梁の中備えは蟇股。松の彫刻が入っています。虹梁木鼻はくり抜かれた象鼻。

 

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左側面。写真右が前方です。

破風板の拝みには鰭付きの蕪懸魚。

欄間には菱組と彫刻の羽目が入っています。

 

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本殿は桁行3間・梁間2間、三間社入母屋、向拝3間、檜皮葺。

棟札より1480年(文明十二年)再建。河内源氏の末裔とされる石川八郎左衛門の寄進とのこと。江戸初期には楠木氏の末裔とされる甲斐庄正保が、四天王寺(大阪市)の塔の工事の残材を利用して1622年(元和八年)に修理しています。その後、1966年(昭和四十一年)の修理で室町期の当初の姿に復元され、現在に至ります。

国指定重要文化財

祭神はスサノオと八幡神(誉田別命、神功皇后、仲哀天皇)。

 

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正面の向拝は3間ありますが中央には虹梁がなく、1間の向拝が2つ並んだような形式になっています。

軒下の組物や蟇股は極彩色に塗装されています。経年による退色や剥落が進んではいるものの、充分に鑑賞に堪える状態です。

 

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向拝、向かって左側。

向拝柱は角面取り。室町期のもののためか、面取りの幅が大きめ。

柱と柱の間隔はやや狭く、柱間にわたされた虹梁が寸詰まりで窮屈な感がなきにしもあらず。中備えの蟇股は鷹が彫られています。

外側(左)の組物は連三斗。柱側面の象鼻によって持ち送りされています。

内側(右)の組物は出三斗。柱側面には小振りな拳鼻が設けられています。

 

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母屋の周囲はどちらかといえばゆったりとした印象。

母屋正面は3間。柱間は格子戸が立てつけられています。戸の上には蟇股。

前方には角材の階段が5段あり、横幅は1間ぶんの広さ。階段の下には浜床が張られています。

 

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向拝柱と母屋をつなぐ梁は、わずかに曲がった形状。

母屋の軒桁のすぐ下から出て、軒裏すれすれの高い位置を通り、向拝の組物の上に降りています。

内側の向拝柱には懸架材(梁)が見当たりません。どうなっているか観察したかったのですが、瑞垣の外からではよく見えませんでした。

 

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母屋柱は円柱。軸部は長押と頭貫で固定され、頭貫には拳鼻がついています。

組物は出組。桁下には軒支輪。側面は中備えがありません。

縁側は3面にまわされ、後方は脇障子でふさがれています。脇障子には輪違の文様が彫られていました。

 

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入母屋破風。

破風板の拝みには猪目懸魚。破風内部は木連格子。

 

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反対側から見た全体図。

軒先がわずかに反りかえり、優美な趣。屋根の微妙な曲面は檜皮で柔らかに造形されています。

 

境内社

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本殿右手の境内社。

一間社春日造、銅板葺。

 

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本殿左手の塀の外には稲荷社と比良野社。

 

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稲荷社と比良野社の向かいには、「楠公武威松」なるものが展示されていました。

楠木正成のお手植えと伝わる松がここに生育していたらしいですが、1934年の台風で倒木してしまったとのこと。ここにあるのは楠公武威松の切り株と記念碑。

 

以上、烏帽子形八幡神社でした。

(訪問日2021/11/20)