今回も東京都目黒区の祐天寺について。
当記事では阿弥陀堂、地蔵堂などについて述べます。
阿弥陀堂
本堂向かって左手前(本堂北東)には、阿弥陀堂が西面しています。阿弥陀堂を西向きに建てるのはめずらしいと思います*1。
桁行3間・梁間3間、宝形、向拝1間、瓦棒銅板葺。
仁王門と同じく竹姫の寄進で、1724年(享保九年)上棟*2。区指定有形文化財。
向拝は1間。
母屋は正面側面ともに3間。正面の引き戸の上の扁額は、右横書きで「阿弥陀堂」。
向拝柱は几帳面取り角柱。正面(写真左)には唐獅子、側面には象の木鼻。
柱上の組物は連三斗。組物の上の手挟には、籠彫りで菊が彫刻されています。
虹梁には絵様が彫られ、中央には三葉葵の紋がついています。
虹梁中備えは竜の彫刻。
母屋柱は上端が絞られた円柱。
組物は出組で、柱間にも詰組が配されています。
右側面および背面。
縁側は切目縁が3面にまわされ、欄干の親柱は禅宗様の逆蓮がついています。
側面の柱間は連子窓と横板壁、背面には孫庇が設けられています。
屋根の頂部の露盤と宝珠。
露盤の中央には三葉葵の紋があしらわれ、その左右に格狭間がついています。
阿弥陀堂向かって右(南)には稲荷社が西面しています。
地蔵堂
阿弥陀堂向かって左側、境内の北東の区画には地蔵堂が西面しています。
こちらは地蔵堂門で、一間一戸、薬医門、切妻、桟瓦葺。
写真右奥に見える地蔵堂とともに国登録有形文化財です。
正面向かって左の主柱と腕木。
主柱は円柱が使われ、前方(写真左)に伸びた腕木は先端に繰型が彫られています。
門の内部は鏡天井で、中央には町火消のシンボルである纏が彫られています。
祐天は江戸の町火消の組織・創建に貢献した人物で、現在でも消防業界から崇敬を受けているようです。
右側面。
妻虹梁の上では、力神が棟木を受けています。
門の先には地蔵堂。
寄棟(妻入)、向拝1間 軒唐破風付、銅板葺。
虹梁と軒唐破風。
虹梁には鰐口がつるされ、雲上の絵様が彫られています。中備えは、中央は何も置かれていませんが、左右に組物が置かれています。
唐破風の小壁には波の彫刻。
向かって右の向拝柱。
几帳面取り角柱が使われています。正面は唐獅子、側面は獏の彫刻。
柱上の組物は連三斗。虹梁の上の組物と肘木を共有しています。
向拝柱と母屋柱のあいだには海老虹梁がわたされています。
向拝柱の上の手挟は、繰型のついた板状の造形。
母屋柱は角柱。正面は3間で、建具は引き戸が使われています。
縁側は、前方の外陣部分に切目縁がまわされ、欄干の親柱には禅宗様の逆蓮の意匠があります。
屋根は、正面から見ると宝形のようなシルエットですが、側面から見ると奥行きの長い平面となっています。
縁側は正面と両側面の計3面にまわされていますが、側面の縁側は途中で途切れています。
左側面後方。
母屋柱は角柱。頭貫には木鼻がついています。
正面側の露盤と宝珠。
露盤には格狭間の意匠。宝珠は火炎付き。
地蔵堂周辺
地蔵堂向かって右側には手水舎。
切妻、銅板葺。
手水盤の中央には縦書きで「ゑ組」と彫られています。
おそらく町火消が奉納したものかと思います。「ゑ組」は港区虎ノ門の西久保という地区を管轄とした組のようです。
地蔵堂の北側の区画には2基の海難供養碑。
祐天寺6世・祐全などの名前が刻まれていることから、江戸中期から後期のものと推定されます。区指定有形文化財。
摂津国・灘の樽廻船と、伊勢国の木綿問屋・白子組の遭難者を供養するため立てられたもの。両者とも江戸へ向かう船の途上で、台風に遭って遭難者を出すことが多々あったようです。この供養塔の銘文は、商業や運輸業の歴史を知るうえで価値のある資料とのこと。
以上、祐天寺でした。
(訪問日2023/12/01)